同時通訳:「私は…を思い出した」と「I remembered that …」の陥穽

喋る分にはあまり気になりませんが、文章で読むと気になります。

これなんかその典型。話すように書いているのでしょう。

 

同時通訳:「私は…を思い出した」と「I remembered that …」の陥穽

 

ぼくは、貧しい私生児だったために、恵まれぬ青春時代をすごし、結婚して一児をもうけてすぐに未亡人となった一人の女のことを思い出した。

寺山修司『さらば、競馬よ』)

 

 この一文の難しさは「ぼくは、貧しい私生児だったために、恵まれぬ青春時代をすごし、結婚して一児をもうけてすぐに」まではそのまま素直に読み進めることができるが、続く「未亡人となった」の一節で、それまで理解してきた筋道が一気に訂正を迫られるからである。

 その筋道とは「寺山修司は、えっ、私生児だったのか!」「結婚して子供もいたのか」との理解である。それが不問に付され 「貧しい私生児であり、青春時代は恵まれなかったが、結婚して一児をもうけ」 たのは寺山修司ではなく、別の女のことだったのか、と修正を強いられ、読み進めなければならなくなるのである。同時通訳者はこの陥穽をどの様に処理しているのだろうか。

 これ、「英→日」の場合は問題ありませんよね。通訳の方のリアルタイムの対応を見ていても、「わたしは思い出す、つまり、女性で、貧しい私生児だったので…」という感じで訳しているのをよく聞きます。

では、「日→英」の場合はどうか。

おそらく、このような陥穽があることを考慮して、はじめの「ぼくは」は訳さないのではないのでしょうか? または、「I…」だけで述語を保留にしておいて、最後に「I remember」でまとめるとか。

いずれにしても、あまりこういう書き方/話し方はしないようにしています。

「わたしが思い出すのは」とか、「これはわたしの考えですが」と話し始めればいいことなので。

こういうのも、話し方における、相手に対する礼儀だと思うんですけど、なかなか理解してもらえません。よく、話し方はまだるっこしいとか、ことわりの言葉が多い、なんて言われます。

そうなんです、意味・内容を性格に伝えようとすると文章のスピード感が失われるんですよね。少ない言葉で達意の文章を書くのはどうすればいいか。

これが当面の課題なんです。

話し言葉だったら、ジェスチャーや、その場のイキオイというか臨場感を利用したり、レトリックを使えばいいので、逆にラクなんですけどね。

 

さらば、競馬よ

さらば、競馬よ