「憲法を確定する」 か「憲法を制定する」か

 

憲法を確定する」 か「憲法を制定する」か

もう随分昔のことで恐縮だが、言葉の話題だから取り上げておきたい。石原慎太郎衆院議員は予算委員会で作家らしく言葉から切り込んだ。

この憲法をね、議員の諸君で精読した人はいるのか。あの前文の醜さは何だ。たとえば、『ここにこの憲法を確定する』とあるが、日本語で法律を決める場合は『制定』だ。『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ』とあるが、ちょっとおかしな日本語だね。助詞の常套(じょうとう)から言えば『恐怖と欠乏を免れ』なんだ。日本語の助詞、間投詞は非常に大事で、1つ間違うと全然作品の印象も違ってくるが、これをまったく無視した。日本語の体を成していないな。英文和訳とすれば70点もいかないぐらいだ。(産経ニュース)  

 

石原慎太郎翁が誤用だと息巻いた「憲法を確定する」は、日本国憲法前文にある。 

日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法確定する。

さて、この議論の決着がどのようについたか不明だ。議員でさえも居眠りする国会ですから、「暴走老人」にはもっともっと暴走してもらいたいと思っていたら、参議院議員東京都知事に転職してしまいました。今どこでどうしているのやら。いやはや。

 

ああ、やっぱり石原慎太郎氏はただの作家だったんだな、ということがわかるエピソードですね。法律の言葉が適当に決められているはずはありません。

法律の「制定」の主体は「国民」だけど、日本国憲法は、そもそも、このような日本の法律構造の土台となるものなので、論理上、これを日本国憲法に規定されている「国民」が制定することはできないわけです。ニワトリが先かタマゴが先か、のような循環構造になってしまう。だから、ここは注意深く「制定」ではなく「確定」という言葉が使われているわけです。

「免れる」の助詞は、まあ、そのとおりかもしれません。でも、「日本語の助詞、間投詞は非常に大事で、1つ間違うと全然作品の印象も違ってくるが、これをまったく無視した。日本語の体を成していないな。英文和訳とすれば70点もいかないぐらいだ」って、これ、条文を考える上で必要なことでしょうか? 条文や法律でいちばん大事なことは意味が間違って伝わらないこと、その内容が一義的に定まること、複数の読み方ができないこと、だと思います。印象とかは重要じゃないし、日本語の体をなしていない、ということは意味が定まらないくらいに文法が間違っていることでしょうが、それはあまりにも言いすぎでしょう。そして、英文和訳を持ち出して、日本国憲法が外国人に作られたことを言いたいのでしょうが、いい翻訳とは、原文の意味を過不足なく伝えること、と考えるのが普通では? その場合、日本語の印象とかはむしろ大事ではないようにも思います。

そして、翻訳であることを考えると、もしかしたら「~から免れる」の表現は、もしかしたら翻訳の過程から生じた、「制定」と「確定」との違いのような慎重な表現だったのかもしれません。こちらは、文献学的な確認が必要なので、これ以上は何も言えませんが。

いずれにしても、石原慎太郎氏は軽率だなあ。

わたしは氏の思想は好きではありませんが、こういうガサツな姿勢が嫌いなんです。