子どもの空想の世界は自由です。
横断歩道の白い部分だけ踏んで道路を渡る、とか、
色のついたタイルだけ踏んでよし、踏み外したら海に落下! とか。
子供の世界
寺田寅彦の小品がある。
「気象学者がcirrus と名づけた雲がある。白い羽毛のようなのや、刷毛(はけ)で引いたようなのがある。通例巻雲(けんうん)と訳されている。私の子供はそんなことは無視してしまって、勝手にスウスウ雲と命名してしまった。」(『柿の種』)
そう命名した途端にその雲は気象学者のものではなくなり、 cirrus でもなくなり、スウスウ雲になったのだ。その子にだけ見える、その子だけを乗せて瞬く間にどこへでも命じた場所へ連れて行ってくれる家来になった。
この方面の話になると、わたしが思い出すのは次の2つの作品。
松本大洋の『GO GO モンスター』と、センダックの『かいじゅうたちのいるところ』。
松本大洋については、以前、このブログでも書きました。
こどもの空想の世界は、自由であるがために ひどく素直で、残酷なところもあり、それがときに救いにもなります。
ああ、なんてことだ。『パンズ・ラビリンス』を忘れていました。
この映画については、以前にこのブログでも書いてたのに。