このひとつの逸話だけで、寺田寅彦夫婦の関係が想像できます。
ドングリ拾い
寺田寅彦が最初の妻夏子と小石川の植物園に行った時のこと。夏子が団栗の落ちているのを見つける。無数の団栗を拾い、ハンケチを膝の上に広げてなおも拾う。寅彦は
「もう大概にしないか。馬鹿だな」
と言って厠へ入る。出てきても夏子はまだ拾っている。
「一体そんなに拾ってどうしようというのだ」
と聞くと、夏子は
「だって拾うのがおもしろいじゃありませんか」と言う。
小説とも異なる随筆の領分。
明治というと近代小説が生まれた時代として、漱石、鴎外といった作家の名が上がりますが、一方で清少納言にまで遡る、日本文学の特徴である「随筆」分野が一気に花開いた時代であることは見過ごされがちです。
フランス語の essai から生まれ、独自の発展を遂げたこのジャンル、明治時代には優れたものがたくさんあります。
その人のことを知るには、3つの逸話があれば十分だ、とニーチェは『反時代的考察』の序文に書いています。
さしずめ、このエピソードは寺田夫妻を「知る」逸話の一つといったところでしょうか。
この寺田寅彦の『団栗』は根強いファンがたくさんいる作品のようで、amazonのレヴューでは最近のものが大半です。
幸田露伴を読み返してみようかなあ、なんて思いました。