本棚整理のために急いで読んだ一連の本のうちのひとつ。
これは面白かった。
「翻訳物はよくて7割しか面白さを伝えきれない」というのを、
確かむかし阿部公房のエッセイで読んだが、『大地』は訳がよかった。
さすがは中野好夫です。
心に残ったところを引いておく。
まず、阿蘭(醜いが真面目で情の深い正妻)が死にそうなときの王龍のモノローグ。
…「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています――」
王龍は聞くにしのびなかった。
彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。
彼女が言っていることは事実なのだ。
自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、
蓮華(妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。
それが不思議で悲しかった。
この死にかかっている手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。
かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。…
そして、その王龍も死んだときの描写。
さて、昔から、女の泣き方は三種類に分けることができると言われている。
声をはりあげて涙を流すのが哭、高声で悲しむが涙の出ないのが号、声には出さず涙だけ流すのが泣であるが、
王龍の葬送に従う女のうち、彼の妻、息子の嫁、奴隷女、それから哭女まで入れて、
泣の泣き方をした女が一人だけいた。
それは、梨花だった。
籠の中に座った彼女は、誰にも見られないように簾をおろして、
声をたてず、黙って涙を流していた。…
そして、王龍の末息子、王虎が権力を手にした後で無聊の日々を送るところは特にいい。
…昼間よりも苦しいのは夜だった。
夜はいやでもやって来る。
彼は一人で寝た――一人で寝なければならないから、昼よりも夜をきらった。
王虎のように、人の世の歓楽を味わう性分がなく、苦痛の多い人間にとって、
日夜、孤独で寂しく暮らしているのは決してよいことではない。
また強壮な肉体を持っているから、夜が寂しいのもあたり前だ。
しかし相変わらず友とするものが一人もいないのだ。…
…かりに王虎が、日中、語り合う友がいたところで、日が暮れればきっと夜が来る。
夜ともなれば、やむをえず、一人にならないわけにはゆかない、ぽつねんとして寝床に横たわる。
そして、冬の夜はとても長く、そして暗い。
こんな暗い長い夜、ときに王虎は蝋燭をつけて三国志や水滸伝を読んだ。
少年の日に愛読したもので、彼の功名心を駆りたてたのも、これらの伝奇の感化だった。
それに似たものを幾冊も読んだ。
けれどもそう限りなく読んでもいられない。
蝋燭は燃え落ちる時が来る。
体は冷え、しまいには、暗い、苦しい夜を一人で過ごさなければならない。…
他にも、梨花がせむしと仲良くなる場面や、そのせむしと王虎が話をするところもいい。
うますぎる文章は、評論や論文では時にうるさく感じられて邪魔になる。
小説は、ぼくにとって、心おきなく言葉に酔えるメディアだ。
文庫にして4冊。
これだけの分量を費やさなければ書けない物語は確かに存在する。
島国にはない、大陸独特の雄大な時間感覚に浸りながら、
ぼくはこの物語を満喫した。
それにしても、阿部公房の「よくて7割」って、どこから来た数字だろう?
数値化するところは非常に阿部公房らしいが…。
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