『大地』(一)〜(四)、パール・バック(中野好夫訳)、新潮文庫

本棚整理のために急いで読んだ一連の本のうちのひとつ。
これは面白かった。


「翻訳物はよくて7割しか面白さを伝えきれない」というのを、
確かむかし阿部公房のエッセイで読んだが、『大地』は訳がよかった。
さすがは中野好夫です。


心に残ったところを引いておく。


まず、阿蘭(醜いが真面目で情の深い正妻)が死にそうなときの王龍のモノローグ。

…「わたしは、みにくいから、かわいがられないことは、よく知っています――」
 王龍は聞くにしのびなかった。
彼は阿蘭のもう死んでいるような、大きい、骨ばった手をとって、静かになでた。
彼女が言っていることは事実なのだ。
自分の優しい気持ちを阿蘭に知ってもらいたいと思い、彼女の手を取りながらも、
蓮華(妾)がすねて、ふくれっつらをしたときほど心暖まる情が湧いてこない。
それが不思議で悲しかった。
この死にかかっている手を取っても、彼にはどうしても愛する気が起こらない。
かわいそうだと思いながら、それに反撥する気持ちがまざりあってしまうのだ。…

そして、その王龍も死んだときの描写。

さて、昔から、女の泣き方は三種類に分けることができると言われている。
声をはりあげて涙を流すのが哭、高声で悲しむが涙の出ないのが号、声には出さず涙だけ流すのが泣であるが、
王龍の葬送に従う女のうち、彼の妻、息子の嫁、奴隷女、それから哭女まで入れて、
泣の泣き方をした女が一人だけいた。
それは、梨花だった。
籠の中に座った彼女は、誰にも見られないように簾をおろして、
声をたてず、黙って涙を流していた。…

そして、王龍の末息子、王虎が権力を手にした後で無聊の日々を送るところは特にいい。

…昼間よりも苦しいのは夜だった。
夜はいやでもやって来る。
彼は一人で寝た――一人で寝なければならないから、昼よりも夜をきらった。
王虎のように、人の世の歓楽を味わう性分がなく、苦痛の多い人間にとって、
日夜、孤独で寂しく暮らしているのは決してよいことではない。
また強壮な肉体を持っているから、夜が寂しいのもあたり前だ。
しかし相変わらず友とするものが一人もいないのだ。…
…かりに王虎が、日中、語り合う友がいたところで、日が暮れればきっと夜が来る。
夜ともなれば、やむをえず、一人にならないわけにはゆかない、ぽつねんとして寝床に横たわる。
そして、冬の夜はとても長く、そして暗い。


こんな暗い長い夜、ときに王虎は蝋燭をつけて三国志水滸伝を読んだ。
少年の日に愛読したもので、彼の功名心を駆りたてたのも、これらの伝奇の感化だった。
それに似たものを幾冊も読んだ。
けれどもそう限りなく読んでもいられない。
蝋燭は燃え落ちる時が来る。
体は冷え、しまいには、暗い、苦しい夜を一人で過ごさなければならない。…

他にも、梨花がせむしと仲良くなる場面や、そのせむしと王虎が話をするところもいい。


うますぎる文章は、評論や論文では時にうるさく感じられて邪魔になる。
小説は、ぼくにとって、心おきなく言葉に酔えるメディアだ。


文庫にして4冊。
これだけの分量を費やさなければ書けない物語は確かに存在する。
島国にはない、大陸独特の雄大な時間感覚に浸りながら、
ぼくはこの物語を満喫した。


それにしても、阿部公房の「よくて7割」って、どこから来た数字だろう?
数値化するところは非常に阿部公房らしいが…。

大地(一) (新潮文庫)

大地(一) (新潮文庫)

大地(四) (新潮文庫)

大地(四) (新潮文庫)