『パンズ・ラビリンス』、監督ギレルモ・デル・トロ、メキシコ・スペイン・アメリカ、2006年

人はなぜ小説を読んだり映画を観たりするのだろう。
もっというと、人はなぜ「物語」を必要とするのだろう。


思うに、誰もただ楽しいから映画を観るのではない
(いや、もちろんそういうときもあるだろうけど、
ずっと映画を観続けたり小説を読み続けるのには何か他の動機が必要だ)。


物語には、「現実を補完する役割」というものがあると思う。
それは現実からの「逃避」だけではない。
現実を改善するための一歩踏み出す勇気や、
自分ひとりでは思いつきもしなかったような思想を手に入れたりもするだろう。
ぼくにとっては音楽もそうで、
そのせいでこの歳になってもいまだにCDやら本が増え続けていくばかり。


だが、忘れてはいけないのは、これらはあくまで虚構の世界の話であって、
現実ではない、ということだ。


山形浩生は『ハリー・ポッター』完結に関して、
この点から実に面白いいちゃもんをつけている。< http://cruel.org/other/harrylast.html >

考えてみると、『エヴァンゲリオン』の最後は客を現実に戻すことに必死になっていたし、
このテーマは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のテーマとも重なる。


で、やっとこの映画の話だが、
この映画も「現実」と「物語」をめぐる話だと思う。
語られるとおり素直に受け取れば、


「主人公の女の子は地底の王国を離れてしまった姫君であり、
王国に帰るために妖精の力を借りて試練を乗り越え、再び王国に姫君として帰還する」


という話だが、
これ、ぼくは違うと思う。
地底の王国云々は、多分女の子の空想。
あまりに現実がイヤだから、逃避先として自分で作り出したものなのではないか。
客観的には、少女は戦禍の犠牲になった無力な存在だったのだが、
物語(=想像力)のおかげで少女自身は納得して死ぬことが出来た、と。
ある意味救われない話であり、宣伝やDVDパッケージなどに
残酷な現実云々と書いてあるのはこのことだと思う。


…と思ってたら、さらにネットをさまようと、
この現実と空想については論点になっていたみたい。
啓発的だったのは、「ばったもんど」さんの解説。< http://battaswimmingschool.blog86.fc2.com/tb.php/456-57e3ac91 >


なるほど、試練自体にも現実世界が反映されている、と解釈できるのか…。
そうすると、救われない話で終わっているのではなくて、
実はラストも本当のことで、少女は本当に王国へ行くことが出来たのだ、と。
この解釈も面白いし、「救われる」解釈だと思う。


この映画を観ようと思ったきっかけは、雑誌『映画秘宝』で強く薦められていたから。
映像表現・描写も楽しく、いい映画だった。
映画秘宝』は、本当に見識がある雑誌です。

パンズ・ラビリンス 通常版 [DVD]

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