『白鯨』、メルヴィル、八木敏雄訳、岩波文庫、1851年

訳者の八木敏雄の言葉を借りれば、壮大な「知的ごった煮」な物語である。
引用につぐ引用に窒息しそうになりながら寓意に満ちた挿話が連続し、
さらに物語自身の寓意も最後まで解き明かされることはない。
物語を貫く、世界のすべてを記述し尽くさんとする病的なまでに壮大な意志は
19世紀の精神の典型だ。


もはや古典となった『白鯨』だが、『ガリヴァー旅行記』と並び、
現代文学のいまだ汲み尽くされぬ知的源泉であることを何かで読み、
長い間読みたかった本だった。
この物語はとにかく壮大で複雑な物語であり、
そして全体として上手く整理されずにまとまりのまま提示されている。
訳者の「知的ごった煮」というこの物語を形容する表現は言い得て妙である。
読み通してからノートにまとめるまで、恐ろしく長い時間がかかってしまった。
まとめた箇所などをすべてアップしてもいいのだが、
サーバーにムダな負荷をかけるだけなので、
「「スターバックス・コーヒー」の「スターバック」とは、
アメリ実用主義を体現しているこの物語の乗組員の名前に由来する」
のような、面白いものだけをいくつか抜いておく。
まずは名前から。

『白鯨』の冒頭に、
”Call me Ishmael”と言って語り手が自分を紹介する文がある。
イシュマエルは旧約聖書の創世記に出てくる名前で、
彼はヘブライ人の太祖アブラハムが妻サラの女奴隷ハガルに産ませた子である。
サラは子供が産めないまま90歳になり、
アブラハムに後継ぎが出来ないのを心配して、
夫に自分の婢ハガルと寝るように勧める。
こうして生まれたのがイシュマエルであり、
この名の意味はヘブライ語で「神は聞き給えり」
(聖書では名前は神が与えることになっているが、
ここでは神への感謝も込められているだろう)。
 さて、アブラハムの後継ぎを孕んだハガルはおごり高ぶり、
主人であるサラをないがしろにするようになる。
サラは苦しみ怒りハガルに辛く当たり、
サラの扱いに耐えられなくなった身重のハガルは砂漠に逃れる。
そのハガルに天使が現れ、
アブラハムの家に帰って子を産み、生まれる子をイシュマエルと名づけよ。
神はおまえの悩みを聞かれた。
お前の子は野性のロバのようになり、皆に逆らう。
そして皆も彼に逆らい、彼は兄弟に相対して住む」
と述べる。
ハガルは天使の勧めに従ってアブラハムの家に帰って男子を産む。
ところが、サラにも神は恩寵を賜り、子供を授ける。
この子がイサク(Isaac)で、アブラハムの正統な後継ぎと成る。
そして、イシュマエルはハガルと共に追放されることとなる。
 “Call me Ishmael”の背景にはこのような話があり、
この名前には、まず第一に、まわりの人とは上手くやっていけずに
社会からはじき出された厄介者という意味がある。…


…エイハブ(Ahab)は偶像崇拝者として
旧約聖書の「列王記上」に登場するイスラエルの王の名前。
偶像とはユダヤキリスト教では
人々を惑わし破滅に導く「間違った道」を象徴的に意味する。
「白鯨」という「偶像」とそれが象徴する巨大で不思議な力に捕らわれた
エイハブに導かれた乗組員はその破滅の道を進むことになるのだが、
このことは船長の名前が「エイハブ」であることから
既に予め予言されているのである。…

以上、『世界人名物語』、梅田修、講談社現代新書より。
二人の主人公の名前が既にこの物語の結末を暗示しているのである。
さらに、本書の注にも次のようにある。

4)
「イシュマエル」には、
遺産を絶たれた者、追放者、放浪者、世にはむかう者という含みがある。
この名にはそういう由来があるために、
親が自然な愛情からこの名を自分の子供につけることはまずない。
また、一般的にこのイシュマエルがアラブ人の祖に、
イサクがユダヤ人の祖になったとされている。
さらに、この「イシュマエル」という名前は、
主人公の名前でありながら物語全体を通じて20回出てくるだけであり、
ピーレグ船長が名前の確認のために口にする二回を除いて、
すべてイシュマエルが自分自身に対する言及・呼びかけとして用いられている。
これは小説としてはかなり不思議なことであり、
虚構上の身分として、メルヴィルの何らかの意図が働いていると考えるのが自然だろう。


69)
「エイハブ」というのは元来不吉な名である。
旧約聖書(「列王記16.28-22.40」)によれば、
アハブ(=エイハブ)はエホバを捨て、
邪神バアルに仕えて偶像崇拝者となった。
彼は
サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。
アハブはまたアシュラ像をつくり、
それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、
主の怒りを招くことを行った」
人物である。
アハブは最後は戦闘で死に、
その死体をはこんだ戦車を池で洗おうとしたところ、
「犬の群が彼の血をなめ、遊女達がそこで身を洗った」という。


さらに、エイハブ船長指揮する「ピークオッド号」の由来はこうだ。

63)
「ピークオッド」あるいは「ピーコッド」は
(マサチューセツのではなくコネチカットの)インディアン部族の名前だが、
この部族は1637年にピューリタンたちに襲われてほぼ全滅した。
白人が北米で行ったインディアン大規模殺戮のはしりである。
…この絶滅させられたインディアンの名をもつ捕鯨船ピークオッド号が、
白人船長の指揮のもとに
アメリカ合衆国そのもののような多様な人種からなる乗員をのせて、
白人の心性そのもののような「白く巨大な鯨」を追跡して、
かえってその「白い鯨」の反撃をうけてほとんど完璧に絶滅させられる
というこの『白鯨』という小説の錯綜した寓意は、
そう簡単に解明できそうに無い。

三つの名前について記したところで今日はやめておこう。
続きは明日。

白鯨 上 (岩波文庫)

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世界人名ものがたり―名前でみるヨーロッパ文化 (講談社現代新書)

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