『ニッポニアニッポン』、阿部和重、新潮文庫

ニッポニアニッポンとはもちろん天然記念物「トキ」の学名。
昨日の『親指Pの修行時代』がペニスをめぐる話だとすれば、
この『ニッポニアニッポン』は「日本」をめぐる話。
自分の名前に「鴇」が使われているいわゆる「引きこもり」の少年が、
トキにシンパシーを抱き、自己のアイデンティティー獲得のために
「トキを解放するか、殺害するか」の革命計画を実行する、
というのが物語の筋。


ミエミエだ。
トキは主人公自身のアイデンティティであるのと同時に、
もちろん天皇を象徴しているのであろうし、
それをめぐるゴタゴタは日本社会の問題点を象徴しているのだろう。
なんか、この設定だけでゲンナリだな。
阿部和重のことだから、
こうしたあからさまな設定を
ひっくり返すような小説を試みたと思うんだけど、
成功してるとは思えない。
読者の筋書き通りに物語は進行し、あからさまなクリシェで終わる。


文庫解説の斎藤環によると、
ヒロインの本木桜は『カードキャプターさくら』の主人公、
木之本桜にちなみ、
同じく登場人物の瀬川文緒は、『おジャ魔女どれみ』のサブキャラ、
瀬川おんぷにちなんでいるそうだ。
で、クイーンの『オペラ座の夜』を模した表紙に、
この二人が対照的に配置されているらしい。
斎藤によると、
このような「記号読み」ないしは指摘が、
「ブンガク業界」ではまったくされなかった。
この業界における「サブカル・ディバイド」の深刻さを
嘆かなければならないのは、
いささか難儀な話である、らしい。


…そうかなあ?
表紙のクイーンの引用は誰でもわかるパロディだし、
しかも最後に警官に逮捕される時にスピーカーから
ボヘミアン・ラプソディ」が流れてくるんだから、
解説するまでもないんじゃないの?
書評などで触れてないとしたら、
これから読むた人のためのネタバレを考慮してのことなんじゃないのかな。
あと、「サブカル・ディバイド」が云々って、なんじゃそれ。
別に文学を上位、アニメを下位にみてるわけじゃないけど、
「今時の文学を批評するならアニメも視野に入れなければならない」
という態度の方がちょっとバランス悪いんじゃないかな。
阿部和重の仕掛けに気付いたことは自慢したっていいけど、
それを周りに押し付けるのはなんか違和感ある。
東浩紀阿部和重斎藤環って独特のトライアングルだよなあ。
この3人の言葉遣いや問題意識を共有するためには、
完全にこのトライアングルに浸かるなければならない、感じを受ける。
阿部和重は映画評論は実に刺激的なのに…。


ただ、饒舌な文体は健在。
それがこの小説の魅力だ。

ニッポニアニッポン (新潮文庫)

ニッポニアニッポン (新潮文庫)

オペラ座の夜(紙ジャケット仕様)

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