『10 1/2章で書かれた世界の歴史』、ジュリアン・バーンズ/丹治愛・丹治敏衛訳、白水社

泣く子も黙るジュリアン・バーンズ


恥ずかしい話だが、
ぼくには長編小説を多幸症的にしか読めない時期があった。
その時期に読んだ物語の感想は、だから全部同じものになってしまっていて、
いずれもう一度読みたいと思っていた。
で、先日部屋の整理をしていたとき、偶然この本を見つけたので
整理をそっちのけで頁をめくり始めた。


バーンズは、小説というジャンルが志向している
柔軟性を最大限に利用して世界の歴史を書くが、
これについて、解説で丹治愛はH.G.ウェルズの『世界史概観』(1920)
とは大きく異なる、と述べる。

その違いは、まず第一に、
ウェルズの『世界史概観』が歴史を実在した事件として、
そしてその事件についての科学的な記述としてとらえるのに対して、
バーンズの『10 1/2章で〜(以下『世界の歴史』)』は
歴史をなによりも「物語」として、
人間が「物語化行為」をとおして作りあげるテクストとして
とらえているというところに、
そして第二に、
時間を地球の誕生から順にたどっていく『世界史概観』は
直線的な進歩史観に依拠しているのに対して、
『世界の歴史』は
徹底して歴史の繰り返し(いわば循環史観)を描いているというところに、
とりあえずは見出されるだろう。

息の長い文だが(なんと以上が1文)的確である。
世界史上の大きな事件を扱うのではなく、
個々人の小さな出来事に焦点をあることによって、
かえって普遍的な意味を抽出する、という方法は常套的な手法だが、
高橋源一郎も評するように、「サービス満点の純文学」として楽しめる。


ぼくが読みたかったのは、
題名の「1/2章」に該当する「挿入章」と最終章の「夢」。
両方とも大好きな章で、以前に読んで大いに感銘を受けた章だ。


挿入章はいわば「愛」について述べたエッセイ。
「愛」について書かれたものは無数にあり、
ぼくもそれなりに読んできたつもりだけど、
個人的にはこれがベスト。
私的で官能的でありながらも理性的で普遍性を志向してもいて、
美しい文章だ。

目がさめる夢を見た。
古くからある夢だ。
たったいまそれを見た。
目がさめる夢を見た。

という文章で始まり、
そしてそれがそのまま終わりの言葉にもなっている最終章は、
「天国」についての寓話か。
「人生の目的」や「幸福」についての考察を促す章で、
ぼくはとても気に入っている。


恐らく、ぼくはこの2章をこれからの人生で何度も読み返すことだろう。


訳者の丹治愛は英文学・英地域研究者で、
『神を殺した男 ダーウィン革命と世紀末』(講談社メチエ、1994年)
という掛け値なしに面白い本を書いている。
以前、論文関係資料として読み始めたら、
あまりに面白くて徹夜して読んだ記憶がある。
この本も、10年前に出会ってればなあ…。
ぼくの人生も変わっていたと思うんだけど……まあ、その話はもういいや。


101/2章で書かれた世界の歴史 (白水Uブックス)

101/2章で書かれた世界の歴史 (白水Uブックス)

神を殺した男―ダーウィン革命と世紀末 (講談社選書メチエ)

神を殺した男―ダーウィン革命と世紀末 (講談社選書メチエ)