『げんしけん』(6)、木尾士目、講談社、2005年

講談社漫画賞落選!!!!」という帯のコピーにまず笑った。
今回は講談社漫画賞はダメだったかもしれないけど、
きっといずれ受賞するよ。
だってこの漫画はとても面白いから。
まあ、その面白さがちょっと問題なんだけど。
今日はそれについて書こうと思う。


げんしけん』で好きな台詞は、1巻の春日部と大野の会話*1

気にしないで、こいつら自分が頭いいと勘違いしてるの。
本当は頭しか使ってないだけなのにね。


オタクの世界・生活を、
当のオタクたちが楽しむ対象である漫画というメディアで描き、
それをきちんとエンターテイメントとして成立させているところは
評価できるし、この漫画、ぼくも大好きな漫画なんだけど、
手放しで賞賛できるかというとそうでもない。
それは、この漫画がこの「オタク世界」をユートピアとして描き出し、
しかもそれがあまりにも成功してしまっているから。
日本の漫画はとてもレベルが高いし、
政府も「コンテンツ産業」なんていって持ち上げているけど、
皆が皆「その手の人」になってしまったら、それはそれで問題があるだろう。
こんなことをいうのは、
ぼく自身、ほとんど「その手の人」みたいなものだからなんだけどさ。
げんしけん』には、
「その手の人・世界」への客観性や批判性が薄いような気がする。
これがこの漫画へのぼくの唯一の不満だ。


自分の好きなことにはいくらでも時間もお金も費やし、
そしてそのことに対する知識は豊富かもしれないけど、
その分人と付き合うのが苦手だったり、
ムダに想像力が強くなりすぎるのはどうかと思う。
もちろん、ぼくは安易に宮崎勤や監禁事件などと
結びつけるつもりは全然なくって、
単純に一つの社会の構成を考えたときに、
もうこれ以上そういう人はいらないんじゃないの、
ということがいいたいだけなんだ。


確かに「その手の人」はいてもいいし、
むしろバランスとしてはある程度社会にいるべきなのかもしれない。
そういう人は、よく言えば職人なんだし、日本の高度経済成長を支えたのは
もしかしたらそういった人々の現場のオタク的専門性なのかもしれない。
それに、「海洋堂」みたいに立派な文化を確立する場合だってあるしね。


ただ、今の日本ではもう充分だ。
むしろ、「その手の人」は多すぎて息苦しいくらい。
きちんとデータを確認しているわけじゃないから正確なことはいえないけど、
漫画でも音楽でも、どんどん狭い知識を求める傾向にあると思う。
最近ではちょっと人気のある作品はすぐに「初回限定」。
そのようにして希少性を高めて商品価値を高めようとしているのだと思うけど、
作品を送り出す側として考えなければいけないのは、
そのような付加価値ではなくて
「面白くて世に問う意義のある作品を送り出す」ことにあるはずだ。
「その手の人」は細部にこだわる習性があって、
彼らの嗜好はその方向には向かない。
ぼくは、メディアミックスというのもこの流れを加速させていると思う。


以前は、メディアミックスを喜ぶ人々を
「表面的で流行に乗りやすい人々だ」なんて考えてたけど、
「その手の人」はメディアミックスを別の次元で楽しんでいる。
「原作と違う点はこれこれで、脚色した××の個性が強く出ている…」とか、
「○○にだれだれの声をあてるなんて、あのプロデューサーはわかってるね…」
などなど。


 脱線したけど、『げんしけん』はこの「オタク化」の方向を強めこそすれ、
健全な方向*2に向ける力にはならないんじゃないか。
むしろ、こういう世界に憧れて、
自ら「その手の人」になることを志願する若者も出てくるかもしれない。
作中にもあるように、
「その手の人」には「なろうと思ってなる」んじゃなくて、
「気づいたらそうなっている」ものだから、
これは「その手の人」的にも不自然だ。


こんな心配は、もしかしたら不必要なものかもしれない。
というのは、『げんしけん』はこのまま終わらないかもしれないからだ。
きちんと社会的に「その手の人」でいることの意味を
考えさせる方向に向かうかもしれない。
それは、「その手の世界」へ強力な求心力を持った作品が
たびたび行ってきたことでもある。
ビートルズの『Abbey Road』しかり*3、『エヴァンゲリオン』しかり。 
漫画的文法に則って永遠に○年生を繰り返すのではなく、
斑目久我山、田中がきちんと卒業して社会に出たのは
作者の木尾士目のそんな意図が働いているのかもしれない。
ぼくは彼らの卒業後の日常が読みたい。
木尾がそれを書くことを期待している。


長々とこんなことを書いたのは、
げんしけん』があまりにも面白いからだし、
ぼく自身、強くここで描かれている世界をユートピアと感じてしまうから。
実際、6巻の初回限定には、なんと『げんしけん』の同人誌もついていて、
ぼくはそこに桜玉吉の投稿があって文字通り狂喜してしまった。
ぼくにとって『げんしけん』は、面白い漫画だけどその面白すぎるのが問題、
という複雑な漫画だ。

最後に、いま気づいたんだけど、
6巻オビに

「東大に入るよりも、こんなサークルに入ったほうが幸せだよ、ほんと。」

ってのがあったけど、これは『ドラゴン桜』に対する批判なのかも。


だからさ、この漫画のこういう紹介の仕方が問題があると思うんだよ……。


げんしけん(6) (アフタヌーンKC)

げんしけん(6) (アフタヌーンKC)

 
げんしけん(6) 特装版

げんしけん(6) 特装版

*1:関係ないけど、この二人の関係って『稲中』の岩下京子と神谷ちよこに似てる。他にも『げんしけん』のキャラはなんとなく『稲中』を髣髴とさせるんだけど、はたしてこれは「サークルもの」ギャグ漫画の典型なのか、作者木尾のリサーチによる作戦なのか。ぼくは後者だと思うけど。

*2:もちろんぼくが思う、だけどさ。

*3:このアルバムは、「Come Together」とリスナーを誘っておきながら、最終的には「Carry That Weight」と、ビートルズの解散という「重さ」に耐え、現実に戻れ、と説教するアルバムでもあるのだ。