『イデアの洞窟』、ホセ・カルロス・ソモサ、文藝春秋、二〇〇四年(”La caverna de las ideas”, Jose Carlos Somoza, 2000)

小説のメタレベルを利用した良質のミステリーである。

古代ギリシアアテネ
野犬に食い殺されたと思しき若者の死体が発見される。
だが不信を抱いたものがいた――「謎の解読者」と異名をとる男、ヘラクレス
調査に乗り出した彼の前に現れるさらなる死体。
果たして、この連続殺人の真相は……
 
……という書物『イデアの洞窟』。その翻訳を依頼されたわたしは、
物語世界を傷つけかねない頻度でちりばめられた象徴群に不審を抱く。
それは、古代ギリシアで「直観隠喩」と呼ばれた技法だった。
だが、『イデアの洞窟』のそれは過剰すぎた。
やがて現実世界の身辺に怪事が頻発し始め、私は何者かに監禁されて……


……という異形の形式が驚愕の結末へと読者を導く破格のミステリ。
めくるめく謎の迷宮に「作者探し」の興趣も仕込む、
イギリス推理作家協会最優秀長編賞受賞作。

以上、本カバーに印刷されている「あらすじ」。
よくまとまっているし、このミステリの面白さを上手く伝えていると
思われるので引いておく。
 
本作品は、脚注の中で本文と異なる話が展開する、
いわゆる「脚注小説」である。
この作品は、『イデアの洞窟』という古代ギリシアのテキストの翻訳という形式をとっており、
少しでも古代のテキストに触れたものならその形式だけで
思わずニヤリとしてしまうだろう。
実際、日本ではどうしても縦書きになってしまうが、
西洋語のテキストならこれは古代のテキストとそっくりになるはずである!


こう書くと非常にややこしい小説のように聞こえるが、
実際は非常にわかりやすい、親切なミステリーである。
最終的に作者によってきちんと徹底的に種明かしをしてもらえるからだ。
ただ、「犯人探し」の謎は、ミステリ好きの友人によると、
謎解きのカギが全て提示されておらず、「アンフェア」なそうだが、
私は犯人探しには興味がないので、それは気にならなかった。


その友人の話によると、確かに援用されているプラトンの哲学は
確かに浅いものかもしれないが、
当時のアテネの文化、そして古代ギリシア語の慣用句などには、
古代ギリシアプロパーならではのオタク的な楽しみがあるらしい
(その友人は古代ギリシアの研究家でもある)。


そこで、作者のホセ・カルロス・ソモサとは何者か――と思って解説を読んでみると、
これがまた困った解説だった。
このミステリがミステリの流れの中にどう位置付けられるか、
ということについて「翻訳者」と「編集者」の会話という形式を借り、
膨大な固有名詞が羅列してあり、作者の経歴は最後に軽く触れられているだけである。
この解説は情報ソースとしては役に立つのだろうが、
小説の解説としてはあまりフェアとはいえないのではないだろうか
(それにしても、風間賢二――筆名らしいが、一体誰だろう? 
 どこかで聞いたおぼえはあるのだけれど…)?
まあ、知識をひけらかす解説は利用してやればいいまでだ。


久しぶりに骨のある小説が読みたくなった。
エーコの『フーコーの振り子』のような(『薔薇の名前』ではない!)。
もっとも、そんな小説と向き合う時間はないのだが…。


イデアの洞窟

イデアの洞窟