複数形と単数形があることの有用性。

 複数形と単数形

 中学で英語を習い始めた時に、単数形と複数形があることに驚いた。勉強しているあいだ、そして、今では便利な文法だと納得している。例えば次の新聞記事。

 

南京大虐殺記念館の張健軍館長は、今年(2017年)1月「アパホテル」の客室に南京大虐殺を否定する書籍が置かれていた問題を挙げ、「日本は戦後、サンフランシスコ講和条約に調印し歴史の過ちを法的に認めているが、言行不一致と言わざるを得ない」と批判、「右傾化」への警戒感をあらわにした。(京都新聞2017.10.29)

 

 日本語では「客室」が1室だけなのか、すべての客室なのかがわからない。だから、置かれていた「書籍」は1冊なのか、部屋の数ほどだったのかが不明。つまり、たまたまその客室に置かれていたのか、アパホテルが意図的にすべての客室に置いておいたのかが判断しにくいのである。その判断は、この記事を読む人に任されている。文章を注意深く読めば、後者であろうと思われるが、文法から決めることは難しい。

 

確かに便利です。

日本語でも、生物の場合は「~達」などという表現で複数を表すことはできますが、無生物の場合は難しい/不可能な場合が多いです。

以前、厳密さが要求される古代ギリシア語の購読の授業を受けていた時は、「無生物の複数形の訳語で適当なものが見当たらないときは、その語を重ねて訳すように」と教わりました。「鳥鳥」「建物建物」「紙紙」などなど。

こうすれば、なるほど複数形であることは伝わるので、厳密性は担保されます。

 

厳密性を担保する訳、といえばやはり学生時代、デカルトの『省察』を精読する講義を受けたことがあります。そのときに参考にしたのがこの訳本。

 

方法叙説;省察 (イデー選書)

方法叙説;省察 (イデー選書)

 

この訳本、日本語の訳だけ読むとさっぱり意味がわからないのですが、原語のラテン語と一緒に読むと明晰に文章の意味がわかる、という不思議な訳書です。

専門書の訳とはこうあるべきか、と感動したのを今でも覚えています。 

 

日本人の英語 (岩波新書)

日本人の英語 (岩波新書)