今日は日常の興味深い表現について。
これも結果構文の一種と言えるのではないでしょうか。
「偶数の子供を『集め』」という表現
偶数の子供を集め 西瓜切る 島野紀子
子どもたちが集まって遊んでいる。夏の陽を浴びて暑そうにしているから、よく冷えた西瓜を出してあげよう。男の子、女の子、大きい子、幼い子もいて、西瓜を切って出した。
丸い1個の西瓜を1回切れば、2つに。その2切れをそれぞれ半分に切れば4つに。その4つの切れをそれぞれ半分に切れば、8切れに。集まった子どもの数とピタリとあった。
そういう情景なのだろう。つまり、「偶数の子供を集め」は「集まった子を数えたら偶数だった」というレトリック。英語のThe poor boy is crying for food. のpoor に似た語法か。「可哀そうな子」ではなく、食べ物を欲しがっている子を見て、可哀そうだといっている。
「うがち」とは私の解釈では簡単にいうと、「ものの見方の新発見」。人とは違ったものの見方、言葉の使い方などで、うまいなぁ、なるほど、へぇ~、とうならせることだ。
西瓜を奇数に切るのは面倒だから「偶数の子供を集め」というのは理屈で、理屈は句作から排すべきと考える。子どもたちに早く食べさせたいとポンポンポンと勢いよく西瓜を切った。そんな時は偶数個に切れる。子どもたちが仲良く1切れずつ食べた。子どもの数と西瓜の数がぴたりと合った。おや、子どもは偶数いたのかという詠み手の発見。それを「偶数の子供を集め」と表現を「うまいね」と感心した読み手の私。
なるほど、これまで考えたことのない表現の視点です。
結果の目的語、結果構文については、以前このブログでも書きました。
英語の場合、訳し方にも一工夫ほしいところ。
というか、そういう文こそ文脈を読んで訳すべきです。
The poor boy is crying for food. という文は、
「かわいそうに、この少年は食べ物を欲しがって泣いている」
とでも訳してはどうでしょうか。
そして、この表現は読む側だけでなく、書く側としても有用な表現だと思いました。
今回取り上げた一句、出典はこちらでしょうか。