「私と同じことを言っている」は後出しじゃんけん

悪気はないのだと思いますが、誤解の無いように述べないといけませんね。

 

「私と同じことを言っている」は後出しじゃんけん

J.デュボアとその他の『一般修辞学』は1970年刊行の本ですが、その序論は(中略)とある。わたしと同じことを言ってゐるわけです。

丸谷才一『ゴシップ的日本語論』)

 

ゴシップ的日本語論 (文春文庫)

ゴシップ的日本語論 (文春文庫)

 
一般修辞学

一般修辞学

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 1981/12/20
  • メディア: 単行本
 

 

こういう言い方はしばしば耳目にするが、執筆年月日から言って「わたしと」の「と」は変ではないか。デュボアのほうが1970年に述べて、丸谷氏が2004年に述べているのだから、「わたしが」ではないのか。単純に考えて、後出しジャンケンだ。

 次もなんだか倒錯してる感じだ。

 

源氏物語』の中では(中略)得度儀式の順序が、現在と見事に同じなんですよ。

瀬戸内寂聴丸谷才一『ゴシップ的日本語論』)

 

これも変だ。伝統を正しく守ってきた、あるいは、変更はあったが現在は昔帰りしているということではないのか。

冒頭にも書きましたが、悪気はないのだと思いますよ。自分が発見した驚きを、そのまま述べているだけで。ただ、すぐにツッコミを入れたくなりますよね、「いやいや、あんたの方が後やん」って。

 

…いかんなあ、どうしても、丸谷才一氏には当たりがキツくなってしまいます。なにしろ、ジョイスをめぐっては、わたしは完全に「柳瀬学派」なので。

 

 

「文学を研究対象とした途端、文学は文学でなくなる」うろ覚えですが、柳瀬先生はどこかでそう書かれておられます。そんなことを思い出しました。