そういえば、郷ひろみさんの「よろしく哀愁」は、違和感のある言葉を「あえて」かけ合わせた末のタイトルだったそうですよ。
哀愁する
さぞかしお嬢さんは迷惑だったに違いないが、お嬢さんはいつもニッコリして下さるだけだった。寅さんはある日、お嬢さんに別れをつげてまた旅に出る。ここでこの映画は見事に哀愁する。
「哀愁」なんて典雅な言葉は無粋な私は使ったことはありませんし、映画の題名でしかお目にかかったことがありませんから、どんな気持ちだと問われても、そういうメンタリティーにおちいったこともないので、なんとなく分かったような分からないような(つまりわからない)言葉です。
しかもこれを動詞に使って「哀愁する」と断言する語彙力はタダ者ではありません。さすがは映画評論家です。
「感涙する」「横恋慕する」などと言えますから「哀愁する」に異議はありません。ましてや主語に人以外を用いて「ここでこの映画は見事に哀愁する。」と言われればもう佐藤忠男さんの語感にひれ伏すしかありません。
結論から言えば、言葉は放たれた瞬間から自由に飛び回るのですから、自分の言いたいことを言い表せる言葉を編み出すのが正用法といってよいでしょう。
冒頭の「よろしく哀愁」に関する話は、先日、NHKの「日本人のおなまえっ!」で語られていたエピソードです。
それにしても、う~ん、すごい言葉ですね、「哀愁する」。
こういう半ば強引な「熟語+する」名詞でわたしが思い出すのは、プリンスの「When 2 R In Love」。アルバム『Lovesexy』に収録されているこの曲にはこんな一節があります。
Come bathe with me
Let’s drown each other in each other’s emotions
プリンスファンがこぞってハアハアしちゃう箇所なんですが、この「come bathe with me」を「お風呂しよう」と訳して、その「変態性=音楽性=ピュアネス」を滔々と語ったのがNONA REEVESの西寺郷太さん。
マイケル・ジャクソンの愛好家/解説者として名を上げ、プリンスに関する著作もあるゴータマですが、この「お風呂しよう」について書かれたのは20年以上前の「ぴあ」関西版の連載記事。
あれには衝撃を受けました。
それまで、さまざまな伝説や岡村靖幸さんの音楽からその偉大さ、変態性は耳にしていたものの、なんとなく距離を置いていたプリンスですが、この西寺さんの記事を読んで、すぐに近所の中古CD店に『Lovesexy』を買いに行きました。いやあ、このアルバムはすごかったなあ、いろんな意味で。曲ごとにトラック分けされてなくて、1曲しか入ってなかったから、本気で不良品かと思いました。
プリンスファンには人気が高い曲なので、ちょっと調べるだけでたくさんの「ファンレター」「信仰告白」がヒットします。