[評者]円城塔(作家)
[掲載]2017年02月05日
[ジャンル]経済
朝日新聞書評より。
去年もたくさんの人が亡くなったが、一番ショックだったのは柳瀬尚紀の訃報だった。
翻訳、エッセイなどジャンル問わず、柳瀬氏の著作は学生時代に貪り読んだ。
その結果、正しかったかどうかは別として、管理人は文学を専攻とすることはやめ、
「文学はあくまで趣味のもの」と決意したのだった。
この円城塔の淡々とした書評、最後の一文に胸が詰まります。
■柳瀬尚紀の翻訳が切り開いた道
まだまだ小さかった頃、同じ本に複数の翻訳版があることに戸惑いを覚えた記憶がある。言葉を正確に翻訳すれば、訳文は同じになるはずではないかと素朴に信じていたらしい。
世の中には、複数の翻訳版がありうることに気づかずに暮らしている人がいる。その一方で、誰々さんが翻訳した本は読むようにしているという人もあれば、各種の翻訳版を読みくらべるという楽しみを持つ人もいて、本の選び方はさまざまである。
これが定型的な事務書類なら没個性に徹することもできるはずだが、文学作品となると話はまたかわってくる。
誰が手がけるかによって翻訳が幅を持つのなら、翻訳者によって全然違うものになるような小説というものを想像できる。
二十世紀の文学史に名を残すジェイムズ・ジョイスの作品は、翻訳の幅の広い作品として分類できるかもしれない。
ここで翻訳に幅がでる理由は、内容が難解だとか高尚すぎるといったことではなくて、言葉と内容が複雑にからみあってしまっているせいである。言葉とは透明な存在で素直に意味を伝えるのか、翻訳は一通りでありうるのかを問う種類の文章だと考えてよい。
言葉について考えながら書かれた物語は、翻訳者自身の言葉に対する態度を強く問いかけてくる。
言葉遊びや、パズル的な要素を含む作品を多く巧みな日本語にうつしかえてきた柳瀬尚紀がその生涯をかけて取り組んだのが、この「ユリシーズ1—12」である。「ユリシーズ」の原著は、十八章よりなり、分量的には十二章でまだ半分といったところだ。
翻訳不可能といわれていた「フィネガンズ・ウェイク」を訳し通した柳瀬尚紀が、半ばまで道を開いてくれたということになる。
その膨大な知識で日本語そのものを切り開いてきた柳瀬尚紀は、昨年、七月に亡くなった。
- 作者: 柳瀬尚紀
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/01/22
- メディア: 新書
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