日本は南北に長いので

言われてみればそのとおりです。

しかし、こういう言葉の効果を、「逆に」利用するときもありまして…。

日本は南北に長いので

日本列島は南北に長い国。それゆえさまざまな気候が存在し、それぞれの地に適した樹木が生育し、多種多様な巨樹が生育できる環境を持つ、世界でも稀有な国といえるであろう。

(巨樹写真家高橋弘 『月刊 ウェンディ』2013.9.15)

f:id:Auggie:20200301022732j:plain

 

 この「日本列島は南北に長い国」であり、「さまざまな気候が存在」するは事実で、何度も見聞きして、その通りと疑いもしませんが、ちょっと考えてみると、そうかな?と頭をかしげざるを得ません。南北に長い国は世界地図を開いて見ればたくさんあります。日本より南北に長い国はいくつもあります。しかしそれらの国のすべてに日本のような四季の移り代わりがあるとは言えません。一年中暑い国もあります。つまり、日本の四季の移り変わりは南北に長いからだけではありません。

 多数の様々な要因があるにもかかわらず、その1つだけをとりあげて、「それゆえ、…である」と短兵急に規定してしまうのは強引と言わざるを得ません。私たちは日常的に、十分に知らない隣人、同僚、友人に対してこのような決めつけをするのは避けなければなりません。

 

これはおもしろい。 

「日本が比較的南北に長い」のは、日本に美しい四季があることのいくつもある理由の一つに過ぎません(または間接的な要因に過ぎない)。正確には「そういう気候帯に位置しているから」でしょうね。それに、よく考えたら、「南北に長い」→「南と北で気候差/温度差が激しい」くらいしか言えないはずですよね、南北に長いことからだけでは。

ただ、この手の「もっともらしい理由」からの結論、わたしは仕事でよく使ってしまいます。専門職である仕事柄、非常に複雑で細かい内容を扱いますが、大変なのはさらにそれを顧客に説明しなければならないことです。

そういうとき、この複雑で細かい内容をすべて説明してわかってもらうのは困難極まりない。それでも、わたしはこういうところこそ腕の見せ所と思ってなるべくわかりやすい説明を試みますが、それでも。どうしても難しいときは説明を端折ってしまうときもあります。このとき便利なのが「もっともらしい理由」。本当は違う(または間接的でしかない)理由でも、納得してもらえるなら利用してしまう場合があります。

もっとも、これは非常手段。しかも、結論が絶対的に明らかな場合にしか使いません。

 

古代ギリシアでは、ソフィストが人気を博し、それに対してソクラテスはロゴスの力を説きました。

今の文脈にあてはめてみると、「もっともらしい理由」で人気を博したのがソフィスト。彼らは修辞学、「レートリケー」レトリックを用いて民衆の支持を集めました。それに対して、あくまでロゴスの力のみに力点をおいたのがソクラテス

 

f:id:Auggie:20200301032143j:plain

 

では、民衆が間違った方向に進んでいるのが明らかなのに、民衆がソフィストの煽動に盲信してしまう時、ソクラテス派はどうすればいいのか。ソフィストが用いている以上のレトリックを使って説得すべきなのか? しかしそれはレトリックを用いて説得する、という意味ではソフィストと同位になるのではないか? というか、そもそも「間違った方向に進んでいる」とする根拠は何か? ロゴスの論行は正しいとして、その結論が人々にとっての利得を判断する根拠はなにか? 

………そんなことを考えると、身動きが取れなくなります。

幸いにして、わたしの専門的領域は数字で示せることに限られているので、まだ判断しやすいと言えます。

ようやく、ロジックとレトリックの対立の意味が実感できるようになりました。