『ホテル・ルワンダ』、監督テリー・ジョージ、2004年、南アフリカ・イギリス・イタリア

やっと観ることができた。
想像していた通り、魂に響く映画だった。


1994年、ルワンダ国内で実際に起きた、
フツ族によるツチ族大虐殺事件を題材にした映画。
フツ族のポール・ルセサバギナはベルギー系高級ホテル、
「ミル・コリン・ホテル」の支配人だったが、この大虐殺の間、
自分の妻をはじめ、多くのツチ族を自分が勤めるホテルにかくまいつづけた。
この彼の勇気ある行為は多くの人に賞賛され、
ポールは「アフリカのシンドラー」と呼ばれている。


通常、このように国内で内紛が起き、
もはや自国だけでは虐殺を止めさせることができないときは
「世界の警察」たる国連が出動し、治安を維持する。
それはこの地球で生きるすべての人が享受すべきことだ。
そのために国連は存在しているはずだし、建前では諸国間で優先順位はない。
しかし、国連はルワンダのこの虐殺の仲裁を拒否した。
なぜ、この映画のタイトルが『ホテル・ミル・コリン』でなくて、
ホテル・ルワンダ』であるのか、ということの理由がここにある。
つまり、ポールたちがルワンダ国内のミル・コリン・ホテルの中で
フツ族の虐殺から避難して孤立している様子と、
ルワンダが世界から「救援を行うのに値しない国」とされて
孤立している様子がパラレルな関係にあるためだ。
いいタイトルだ。


映画としては、非常にわかりやすいつくり。
伏線はしっかり張られ、悪玉は悪玉らしく造形され、
音楽も効果的に使われたりと、非常にオーソドックスなスタイル。
これがスティーブン・セガール主演のアクション映画だったら
途中で吹きだしてしまうところだが、この映画では気にならなかった。
いい映画でした。


ひとつ、述べておかなければならないことは、
実はこの映画は当初日本では公開の予定がなかったことだ。
アカデミー賞をはじめ、世界中から大絶賛されたにもかかわらず、だ。
なぜかといえば、このような政治的問題を扱った映画は、
日本では興行的に成功しないから、という配給会社の決定によるためだ。
確かに、なまじ評価が高いために、フィルムの放映権は高くなっただろう。
そして、その支出に見合うだけの収入は難しいかもしれない。
しかし、そこで放映を諦めるのはどうだろう。
宣伝の方法を考案するなどして、なんとか採算をとれるように、
ビジネスとして成立させながらこのような映画を配給することこそ
映画人の誇りなのではないだろうか。
これはぼくが単なる映画ファンで、
映画ビジネスに無知なゆえの意見かもしれないが、
無知だからこそ言えることもあるのだ。
結果的に、町山智弘氏らの活動により、
日本公開が可能になったのは喜ばしいことだ。


あまり客をバカにしないでほしい。
今回のように、興行的に見合わない、という理由で
ホテル・ルワンダ』のような作品が公開されなくなると、
日本国内ではなおさらこのような映画に接する機会が少なくなり、
ますます映画業界の文化度が低下していく。
こういう映画こそ、シネコンで上映して欲しかった。
きっと、観たい人はたくさんいたはずだと思うけど。


もちろん、ぼくは1800円で観ました。
サービスも何も使わずに定価で観るのは久しぶりだったけど、
これは『ホテル・ルワンダ』に対する投票みたいなものだ。
以後、配給会社の賢明な判断を望む。