「濫觴」。
難しい言葉です。
『同時代ゲーム』。この大江健三郎著の小説を小林秀雄は、2ページで読むのをやめた。それを、筒井康隆は「読解力の不足、つまり、濫觴(らんしょう)からいかに凄い話になるかを予測できない能力の不足」だとあきれてしまった。
作家はやはり難解な語を知っているものだと思う。
濫觴(らんしょう) 物のはじまり。「近代医学の濫觴」▽長江も源(みなもと)ではわずかに觴(さかずき)を濫(うか)べるぐらいであるという『荀子』の語から。(岩波国語辞典)
小学生のとき、作文の時間に「踵を返す」という言葉を使って、「難しい言葉を知ってるなあ!」と先生に褒められたことを思い出しました。
まあ、言葉や漢字は知ってるか知らないかだけの話で、必ずしもその人の賢さや人間性を正確に反映するものではありません。しかし、語彙が豊かな人には、世界はその分だけ豊かに広がっているのは確かなわけで、その意味で語彙は多いに越したことはないですよね。
あ、濫觴なんて言葉、もちろんわたしは今日はじめて知りました。