「安達瞳子」は「あだち とうこ」とお読みするのだとか。
それくらい不勉強なわたしです。
安達瞳子
女子生徒たちがパーマの話をしていて、夏休みが明けたらみんな揃ってパーマをかけて登校しようかという話になった。パーマをかけて来たのは安達瞳子ひとりだけだった、という。やはり、頭角をあらわす賢人は一頭地を抜いている。
あ、これに似た話を知ってます。
わたしが敬愛する四方田犬彦先生の『ハイスクール1968』にありました。
四方田先生の場合は、学園闘争の波が大学に押し寄せていた当時、東京教育大附属高校(いまの筑波駒場・「つくこま」ですね)での学生運動の蹉跌について書かれています。なんでも、高校生の我々も立ち上がろう! と、仲間と決起してバリケードを築き、各々が闘争の準備のために一旦家に帰ったところ、約束通り現場に戻ってきたのは四方田先生だけだったとか。これにショックを受け、一時的に高校もドロップアウトした四方田少年は、それまで目指していた理系の道や、母方の法曹界の道でもなく、東大文Ⅲに進学し、人文学を専門とすることとなります(このとき、四方田少年が知人から言われた言葉、「ま、文Ⅲも東大だからな」という言葉が忘れられません。「腐っても東大」程度の意味の言葉だと思いますが、四方田先生はそういう環境で育ったんですね)。
さて、安達さんのこの経験は、その後の彼女の人生にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。気になるところです。