四方田犬彦の韓国関係の本。
ぼくの韓国と北朝鮮の知識は、四方田犬彦と関川夏央の著作による。
韓国への入口がこの2人で本当によかった。
おかげで、この2つの国について、
あまり偏らずに知識を増やしていけているように思う。
「朝鮮人」という呼び方は、決して侮蔑的な意味を持たない。
朝鮮人にとっての「朝鮮」とは、
日本人にとっての「大和」という言葉程度の意味だ。
とか、
など、興味深いことがたくさんだ。
以下、面白かったものを引いておく。
七世紀から八世紀、さらにそののちにまで新羅と百済との対立関係が、
日本の天皇家、朝廷における派閥闘争にも大きな影を投げかけてきた。
また『万葉集』などにも、
山上憶良など渡来人の子孫の作品が多く見られるのは事実である。*2
2001年12月23日、明仁天皇が
「わたし自身としては、桓武天皇の生母が
百済の武寧王の子孫であると『続日本紀』に記されていることに、
韓国とのゆかりを感じています」
と発言した。
もちろん『古事記』『日本書紀』には
朝鮮半島から来た人間が
日本の権力者と深い関係を持ったことが書かれていたわけだが、
これまで日本の社会でそうした史実が公言されることはほとんどなかった。
明仁自らが明言したということは、
韓国と日本との歴史的つながりが
公式的に天皇の名のもとに確認されたということである。
この天皇の発言は、
日本のメディアではあまり大きく取り上げられなかったが、
韓国のメディアはただちに大きく評価した。
またアメリカの「ニューズウィーク」は、
「天皇と朝鮮」という特集さえ組んだ。
日本での報道の少なさ自体が、ここでは問題だといえるだろう。
高麗は篤実な仏教国であったため、
当初は肉食をせず、死刑も廃止していた。
ところが、13世紀になり、元の侵攻により、
朝鮮文化は肉食をするようになった。
徳川家康は朝鮮に対し融和政策をとり、和平をとり結ぼうと努力した。
日本人が韓国人に対して差別なり軽蔑的な印象をもつにいたったのは、
明治の「脱亜入欧」政策と、それに続く植民地統治に基づくものであり、
これは1500年以上にわたる朝鮮半島と日本との関係から見ると、
極めてわずかな期間にすぎない。
韓国にとって現在でも大きな問題は、
西洋的な近代化が独力においてなされず、
日本による植民地化を通して行われたということである。
これこそ韓国が克服すべき大きな問題だといってよい。
1945年に日本が第二次世界大戦で降伏すると、
韓国では光が回復するという意味で解放されたことを「光復」と呼んだ。
そうそう、韓国では「ミズノ先生」こと
水野俊平という日本人が人気だったらしい。
なんと、韓国で日本人でありながらTVレギュラーだったというのだから
驚くべきことだ。
いまでも活躍しているのだろうか?
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