『ヨーロッパ退屈日記』、伊丹十三、新潮文庫、一九六五年

ある年齢以上の人々にとって、この本は特別な意味を持つ。
オビにも、

この人が「随筆」を「エッセイ」に変えた。
本書を読まずしてエッセイを語るなかれ。

なんて書いてあって、当時の影響力がいかに大きかったかがわかる。
だからまあ、ぼくも期待して読んだんだけど……
どうしてそんなに支持された理由がわからない、というのが正直な感想だ。


もともとの版にあった、担当者の編集者の山口瞳の解説も収録されていて、
そこには

本書を読んで、ある種の厭らしさを感ずる人がいるかもしれない。
それは「厳格主義の負うべき避け難い受難」であろう。

なんて書いてあるんだけど、
はっきりいって、ぼくはこの「厭らしさ」を思いっきり感じた。
解説の関川夏央の一文。

キザだな、とは思ったが、イヤ味は感じなかった。
キザもキザ、大キザの高い綱渡りをして、揺れながらも落下しない。
これは芸だ、と感じ入った。
さらに、全編にたたえられた、いわば切ない明るさの印象が、
田舎の高校生の反感を見事におさえこんだのでもあった。

ほめすぎだよ、関川さん。
高度経済成長期の真っ只中で、
国民全体が西洋の文化に対して無知で劣等感に悩まされていた時期には
ある程度意味があったのかもしれない。
フレンチ・レストランでは、
若いソムリエのために少しだけワインを残しておいてやる、
など、この本のおかげで日本人が啓蒙された、という面はあるのかもしれない。
そのせいかもしれないけど、
いまでは半ば常識なことを長々と得意げに語るスタイルにはうんざり。
これって世代の違いなのかな。
『問いつめられたパパとママの本』、『女たちよ!』と読んできて、
どちらもそんなに面白くなかったので期待していたのだが、
どうにも期待ハズレ。
伊丹十三はぼくには映画の方が何倍もおもしろいや。

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)