『昭和時代回想』、関川夏央、NHK出版、一九九九年

本の整理が続く。
今日は関川夏央
しかし、なんか同じ作者ばっかりだなあ…。
中山康樹四方田犬彦関川夏央山形浩生、そしてまた中山康樹……。
幅を狭めているわけではないのだが、
ぼくが好きな書き手は皆多作なので、
そのフォローも一苦労なのだ。
年をとるとどうしても保守的になってしまうし、
どんどん新しい人を開拓していきたいんだけど。


さて、『昭和時代回想』。
いつも通りの関川夏央だ。
明治・大正時代と関川自身が生きた昭和への、
見苦しくない程度の郷愁で味付けされたエッセイ。
こういうの、嫌いじゃないし、
むしろ好きだから長いこと関川夏央を読んでるけど、
この芸風、ちょっとマンネリ気味だなあ、
というのが偽らざる感想。
多分、関川自身に問題はなくて、
単にぼくが飽きてきただけだと思う。


とりあえず、ぼくも「いつも通り」、気になったところを引いておこう。

近代的生意気の典型は石川啄木だろう。
ひそかに「自分は天才である」と考えていた彼は盛岡中学時代、
「趣味は深夜の散歩、職業は夢想家」とうそぶいた。
「天才信仰」「深夜の散歩」「夢想」、
いずれも明治三十年代から大正初年にかけて、
あまりにも急激な西欧文明の流入
およびそれがもたらした「近代的自意識」と格闘しなければならなかった
知識青年に流行したものである。

武家の精神とは、
人として恥ずべきことはしないというモラルを背骨にとおし、
進歩や発展とは縁なく、ひたすら現状の安定した持続を求める傾きである。
ひと口にいって、停滞を望む精神である。


現実には武家も、
現代よりははるかにゆるやかではあるにしろ、
やむを得ず流動し成長する経済のなかを生きた。
いわば米本位制を基盤とし、静止経済を旨とする武家という存在と、
拡大する貨幣経済を必然的に呼び込む江戸的社会相とは本来矛盾する。
その矛盾の集積が、結局維新という革命をもたらさずにはいなかった。

昭和時代回想 (集英社文庫)

昭和時代回想 (集英社文庫)