「親の顔がみたい」なんて言い方もしますよね。
ひどい悪口だと思いますが、実際、そう言いたくなるような子どもがいるのも事実なんです。
親が恥ずかしい
うどんを食べるのに、まるでげんこつの指の間に2本とも不器用にはさんだようで、箸として使いこなせていなかった。この女性は、幼児期にきちんとした箸の持ち方をしつけてもらえなかったのだろうか。親がはずかしいなあ。(片桐恵子 京都新聞)
この「親がはずかしいなあ。」は考えるほど難しい表現です。これを正しく理解できる子供は何歳くらいでしょうか。そして、「親が恥ずかしく思っている」と解釈した幼児にどう説明してやればよいのでしょうか。
これを解くカギは
私は恥ずかしい。
私が恥ずかしい。
の「ハ」と「ガ」の違いにありそうです。「親がはずかしいなあ。」は結論からいえば英語文法でいう「強調構文」だろうと思います。「ダレ」が恥ずかしいかと言うと「私ガ」です。
投稿者の意識としては「この女性は自分の行儀の悪さが恥ずかしくないのだろうか。恥ずかしいということに気付くべきだ。だが、本当に恥ずかしいと思うべきは親である。」と流れていったのでしょう。あるいは、「このひどいマナーは恥ずかしい。誰が恥ずかしいかといえば、問題の女性ではなく親である。」という筋道を省略していきなり「親がはずかしい。」となったのだと思います。
「誰が恥ずかしいかといえば、」がコンテクストで暗黙の了解となり表現されず、その標識として「ガ」が残り「親がはずかしいなあ」となったのでしょう。このあたりの読解力は子供は何歳くらいで身につけるのだろうかというのが私の興味ある点ですが、豚児もすでに大人になってしまいましたから観察するにはもう手遅れです。