『オニババ化する女性たち 女性の身体性を取り戻す』、三砂ちづる、光文社新書、2004

ベストセラーなので読んだ人も多いと思うが、
これは是非女性に読んで欲しい本だ。


著者は「リプロダクティブ・ヘルス」を中心とする疫学を専門とする研究家。
リプロダクティブ・ヘルス」とは聞きなれない言葉で、
カバーでは「女性の保健」と柔らかく訳されているが、
直訳すればズバリ「生殖健康」のことだ。


著者は、女性の社会進出を促し、
社会での女性の地位向上を主張する運動の成果を認め、賞賛しつつも、
そのために女性にとって重要なものが忘れられてしまった、とする。
それは女性の身体性とでもいうべきもので、
女性は、その身体によって自然と深く結びついており、
月経、性交、妊娠、出産といった面で大きなエネルギーをもらっていた。
女性にとってこういう営為は決して軽視できないものなのであり、
「社会に出て活躍する」という選択肢以外にも、
「家庭に入って子供を産んで育てる」というのも立派な一つの選択肢なのだ。


…簡単に論旨を読むと保守的だが、読後感はそうではない。
あくまで女性の身体を基に論が進み、思想はその結果として提示される。
つまりは科学的な思考の本なのだ。*1
ぼくは男だから、正直ここで挙げられている
女性の身体性については体験できず、
想像するしかないが、受け入れられる話ではある。
そもそも、「男と女は同じ」などというのはまやかしであって、
「男と女という性差」は厳として存在する。
その差異をどのように考え、お互いに認め、
許容しあうかというのがジェンダーをめぐる議論だと思うが、
その意味でこの本は思考のいい材料となるだろう。
また、「女性の保健」を「医療が女性のからだを管理するモデル」と
「女性が自分のからだに向き合うようなモデル」の二つを考え、
戦後日本の「女性の保健」は前者が主で、
後者の智恵は無視されてきた、という考え方は、
他の分野にも通ずることなのではないだろうか、
と興味深く読んだ。


ただ、

女性には「人が自然や宇宙とつながっていると感じる力」が備わっており、
このような力は、誰かが他の人よりももっと力を持とうとしたり、
他人を思い通りに動かそうとした時には、
おそらく邪魔なものになったのではないかと思います。

なんてのはちょっと口が滑っちゃってると思うね。
雰囲気で頷いちゃいそうだけど、これはちょっと軽率だ。


あえてこの本の難点を挙げるなら、やはり結論だけをみると
極めて保守派の思想と似ていることだ。
だから保守派の論調に利用されやすい考えだともいえる。
まさに「男に都合のいい女」というやつだ。
単なる保守に飲み込まれずに一つの思想としての立場を確立すること。
それこそ、女性のしたたかさで成功して欲しいものだ。


他には、「リプロダクティブ(=生殖)」という面での
垣間見える思想が美しい。

子どもは手放さなければならない存在である。
>
子どもはあなたの子どもではない。
あなたの弓によって、生きた矢として放たれる。
弓をひくあなたの手にこそ、喜びあれ。
子どもは明日の家に住んでいるので、
あなたはそれを訪ねることも夢みることもできない。
ただ、その弓をひくあなたの手に喜びあれ。

という、カーリル・ギブランの『預言者』の一節や、

親になるということは「子どもに許される」ということなのだと思うのです。
子どもは親を許すために生まれてくるような存在といってもいいと思います。

という一言、そして、

過ぎていく世代にとって、伝承を継承していく者があるということは、
大きな喜びです。
それ(伝承を継承するということ)は、命は連綿と続いていく、
という意識の中に自分を置くことでもあり、
老いて、死んでいく、という喪失感と向き合うために必要な作業なのでしょう。

なんて言葉には、思わず、はっとページを繰る手が止まってしまう。
まあ、ぼくがこの方面について考えてこなかったから免疫がない、
というのもあると思うけど。


結論としては、やはり女性に読んで欲しい本。
女の人がこの本をどう読むか、ぼくはすごく興味がある。

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

*1:もちろん、「科学的であろうとする思想」という言い方もできると思うけど。