責任逃れの但し書きだよなあ、といつも思ってました。
「よいこのみなさん」の裏の意味
テレビのバラエティー番組で、弱い立場のタレントや芸人にひどい罰ゲームをさせることがある。これに対して一市民の投書が次。
時には「よい子はまねをしないでください」との趣旨のテロップが流れるときもあるが、そもそも、よい子はまねをしない。そうでない子どもがまねるのだ。
(京都新聞読者投稿欄 2012.9.25)
という意見がある。しかし、よく考えてみると、そもそもこの意見は子供を、単純に良い子と悪い子の2つに分けてしまっている。いや、よく考えなくてもそんな単純な2分法で子どもを「よい子、わるい子」に分けられるという大人がいることに驚く。
かつて私が住んでいた町では夕方になると公園のスピーカーから
5時になりました。遊んでいるよい子のみなさん、車などに気をつけて帰りましょう。
と優しい声でアナウンスが流れていた。これじゃまるで、悪い子は帰らなくていいですと言っているようではないか。揚げ足を取るつもりはないが、ひねくれてそう解釈する子どもにはどう説明するのか。
この「よい子のみなさん」は、この放送を素直に聞き入れて家に帰る子は良い子なのですよ、と先取りして誉めているのだ、と私は思う。しかしそれでもなお、そもそも、よい子は言われなくても夕方には家に帰るのだ、と茶々を入れたくなる。こう考えるとこのような呼びかけには「よい子のみなさん」は不要ではないか。 「仲良くみんなで帰りましょう」で充分だろう。
テレビのテロップ、夕方の放送のいずれも、けっきよく免責ですよね。いや、夕方放送は子どもに「そろそろ帰る時間だよ」ということを伝える目的が第一だと思いますが、行政側の免責、という面も少しはあるはず。
これに関係することでいえば、わたしは公衆トイレの「いつもきれいに使ってくれてありがとうございます」という文言が気になります。「ここに来るのは初めてだよ!」と「いつも」心のなかで反論します。
これって、同調圧力ですよね。英語でいうならpeer pressure。
「皆そうしてるんだから、お前もそうしろよ!」という力です。
昔から、わたしはこの力が大嫌いでした。この力を感じると、それだけでわたしは反対の方向に行きたくなる。正誤、是非関係なくです。自分でもこれは困った性分だな、と思ったこともありますが仕方がない。ある時期からは、「物事が進歩するには、アンチテーズが必要なのだ」と自己正当化するようになりました。学生時代にアドルノに惹かれたのは当然のことだったのかもしれません(アドルノはいまもわたしのアイドルです)。
そう考えると、小津安二郎のこの言葉は、同調圧力とうまく付き合っていく方法のように響きます。
どうでもいいことは流行に任せておく。
大切なことは世間の常識に倣う。
けれども一番大事なことは、自分の心に従う。
わたしはこの言葉を四方田犬彦先生の著作で知りました。
そうか、きっと四方田先生も、世間のくだらない諸問題を小津監督の言葉を参考にしてやり過ごしたのでしょうね。