Aのように・・・ない

この表現は気をつけないといけません。

推敲や見直しをして、「あれ?」と思うこと、わたしにもあります。

 

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 Aのように・・・ない

 この言い方はいつも曖昧さがつきまとっています。でも、例えば、

この問題はミカンの皮をむくように簡単ではありません

 は発話者にも聞き手にも、二重の意味が意識されなくて双方に、「ミカンの皮をむくのは簡単であるが、この問題はそれほど簡単ではない」と単純明快なのです。

 次の例も書き手と読み手が同じ一つの意味を共通に持っています。

 

あんたはラジオをなおせない。蒲団の破れもつくろえない。コックのように料理もできない。

遠藤周作やくたたず』)

  

これがあいまいではないのは「コックは料理ができる」という共通認識が話し手と聞き手にあるからです。

ところが、次はどうでしょう。

 

アイソン彗星は、ハレーすい星のように回帰せずに、二度と戻ってこないというのもどこかロマンチックだ。

(「凡語 」京都新聞

  

 ハレーすい星は回帰するのでしょうか、しないのでしょうか。私は知りませんでした。調べたら、太陽の周りを公転する周期衛星。それが地球に最接近することを「回帰する」といっているのだと知りました。

 

次の例では異論が噴出しそうです。

 

一見して、芸術家タイプのお母さんは、一般の主婦のように台所仕事や掃除をせず、家にいるときはたいてい自分の部屋に閉じこもっていた(が)

高峰秀子『いっぴきの虫』)

  

これは 「主婦は一般に台所仕事や掃除をするものだ」 を共通認識としてよいのかどうか。物議をかもしそうです。

  このように見てくると、「Aのように・・・ない」 はAに関する情報を読み手が知っていることを前提とした表現法だと言えます。たとえば、

この果実はアドガッピのように美味しくない。

 さて「アドガッピ」は美味しいのでしょうか、美味しくないのでしょうか。

この悩ましい表現法については再度折に触れて考えてみることにします。 

  

 遠藤周作さんの「役立たず」はこれに収録。

最後の殉教者 (講談社文庫)

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いっぴきの虫 (文春文庫)

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