「を」 キャッチコピーから。

「を」が唐突に胸に突き刺さったのは与謝野晶子の歌だった。

 

戦ある 太平洋の 西南を 思いてわれは 寒き夜を泣く

あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ

 

 

  「を」でなくてはならない例をもういくつか引こう。

 

六月を 綺麗な風の 吹くことよ  正岡子規  

 

東京を朝まで遊ぶ  (ELLE JAPON No42)

和を遊ぶ (「京朋」京都中京区の工房)

21世紀をどう踏み出すか (2001,10読売新聞)

好きな私を生きてみる。 (girlfight 2001.5.8)

特別編集「向田邦子を旅する」(『クロワッサン』2001.5.22)

坂本龍馬を歩く(『歩く旅シリーズ』)

 

坂本龍馬を歩く (歩く旅シリーズ 歴史・文学)

坂本龍馬を歩く (歩く旅シリーズ 歴史・文学)

 

 このあたりになってくると、「文章技術」という名前に恥じないような考察になりますね。

文法的には破格、あるいは普通は使わないような使い方でも、そちらのほうが効果的、というような。

 与謝野晶子の「○○を泣く」という叙し方は素晴らしい。

「○○に泣く」だと、その対象にかこつけて、ナルシスティックに自分の悲しみを歌うように聞こえもしますが、「○○を泣く」だと、その対象を純粋に嘆いているように聞こえます。