『村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ』、文春文庫

村上龍に関してぼくが評価するのは、
その嗅覚というか時代性に対する感覚だ。
それと人脈。
坂本龍一浅田彰なんて、
ただ顔を合わせているだけでセンスがよくなりそうだ。
もっとも、お互いに気が合わないと人間関係は続かないから、
村上龍の方でも、彼らに対するフィードバックはあるのだろうけど。


本書はタイトル通り、村上龍の対談集。
タイトルは限りなくカッコ悪いが、
いくつか面白いところがあったので引いておく。
村上龍が面白いと思って紹介するエピソードは確かにちょっと面白い。
やはり、こういうセンスに長けている人なのだと思う。

『近代の超克』における津村秀夫という映画評論家の発言が面白い。
唯一、ヨーロッパでなくアメリカ(アメリカニズム)を
最も手ごわい国としている。
また、映画は近代を超えている、とも。

ポストモダニズムの文脈では、
ジョイスはハイ・モダニズムと呼ばれる。
簡単にポストモダニズムで超えられるものではない、ということ。

ゴダールのインタビュー。
―この作品で何が言いたかったのですか。
「私は何も言っていない。
何かあなたが感じることがあるとすれば、
それはコダックのフィルムのせいだ。
たとえばベートーヴェンでもモーツァルトでも、
何も作っていない。
本当に何か作ったやつは
ドレミファソラシドという音階を作ったやつで、
ベートーヴェンモーツァルトもその音階を組み合わせただけ。
私もそうであって、コダックが開発したフィルムを使って、
何かと何かを単に組み合わせているだけだ。」

これ、引用主義の表明と共に、
唯物論的な思想の表明とも受け取れるんじゃないかな。

(宇野派のマルクス主義
「産業資本主義は労働力商品に基づいているために
 致命的な困難を持っている、
 但し、だからといって必然的に社会主義革命になるわけではない。」

あと、「科学者は最悪の哲学を選びがちである」という
アルチュセールの言葉を引いて、
「科学者の安易なアニミズム傾倒には我慢がならない」
とする話も面白かった。
ウイルスとか免疫系の意義・興味深いところは、
それが潜在的なシステムとして
実に上手く機能しているところにあるのであって、
それをミトコンドリアが意志を持って云々、というのは
面白さの次元を数次下げてしまっている、と述べている。
確かにそうかも。
竹内久美子の遺伝子一元説も、酒飲み話としてなら面白いけど、
大真面目に主張されるとちょっとなあ…。
もはやトンデモ本のレベルです。


論文や小説ではもちろんのこと、
エッセイでも書けないようなちょっとした思い付きや、
他人を媒介にしてはじめて出てくるような考えがある。
対談の価値とはそういう考えを発見するところにあるのだと思うし、
対談を読む人々も、軽い気持ちでこれに付き合えばいい。
そういう意味でこの本は面白かった。
けど、すぐに売りました。

村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ (文春文庫)

村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ (文春文庫)