『五分後の世界』にはやられた。
正直なところ、村上龍は好きな作家じゃないし、
それは今でも変わらないけど、
『五分後の世界』はおもしろかった。
おそらく色々なところで述べられていると思うが、
その優れたところは戦闘場面と人物観察の描写。
あと、一種の麻薬である「向現」といったネーミングのセンスとかも絶妙。
文字通り、これはあっという間に読んじゃったな。
これに比べると、
『ヒュウガ・ウイルス』は前作の世界観があったからこその作品、
という感じがするけど、
いたずらに前作のキャラクターを登場させて読者に媚びずに、
この世界観の補強に成功しているのは評価すべきだろう。
はっきりいって描写はどこも素晴らしいんだけど、
物語冒頭の、ぼくが惹きこまれたところを引いておこう。
…小田桐は耳を澄ました。
クラシックの演奏がこれほどの力を持っているとは
今まで気付かなかった。
別にその当時同棲していた女を思い出したわけではないのに、
息苦しいほどのなまめかしさを感じた。
単調で規則的な行進、腹に響く地響き、火薬の匂い、
無機的な調査、そしてこの地面が剥き出しの部屋、
すべてが殺伐としていた中で突然聞こえてきたピアノは、
まるで、半年間留置所にいて出所した後、
シルクのシーツのベッドの上で裸で手招きする女のようなものだった。
音の一粒一粒が毛穴や感染から染み入ってきて、
寒さや疲労や緊張をほぐしていき、
小田桐は必死に涙をこらえているのに気付いた。
それがドビュッシーのせいなのか、
演奏者のせいなのかわからないが、音楽にそんな官能的な、
いつでもやらせてくれるきれいな女のような力があるのだと
小田桐は知らなかった。
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