もちろん、芸術作品とその時代は切っても切れない関係にあります。
しかし…
時代が要求する
小林信彦さんは「奇怪な<日本側の戦後検閲>で七年近くおクラ入りしていた不幸な『虎の尾を踏む男達』」が公開されたとこに触れて、「映画はすぐに公開されないと駄目だと思う」と書いている(『黒澤明という時代』)。これは換言すれば、映画を見るのは封切でなくてはだめだ、ということだろう。なぜなら、映画はその時代を切り取り写しているのだから。
その作品が生み出された背景として、その時代状況は切り離せません。
ただ、それが一番フレッシュな封切りでなければダメだ、というのはどうなのでしょうか。
わたしが学生の頃、「あの問題作が復活!」という口上で、
多くの映画が復活しました。
中学生の頃に『時計じかけのオレンジ』がレンタルビデオに並び、
『愛のコリーダ』や鈴木清順の封印作品が「京都みなみ会館」でリバイバル公開されていたような。
オーネット・コールマンの 『チャパカ組曲』が初CD化したとかで、
そういう体験をした人間からすると、
まあ、あまり関係ありませんよ。
わりと追体験できるものだし、逆に後から体験したほうがその重要性がわかるような気がします。