『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、押井守、84年

メイキングに惹かれる。

DVDに監督インタビューなどが収録されていると、
それがあまり興味がない作品のものでも絶対みてしまう。
それは映画に留まらなくて、音楽なら録音風景、
読み物だったら自著解説のインタビューという風に、
ジャンルにこだわらないのだけど、
思うに舞台裏が覗けるのが好きなんだと思う。


好きな作品のメイキングを観るのはもちろん楽しみだが、
面白いのはそれほど好きでもない作品のメイキングを観るとき。
何気なく観ていたシーンについて、
その演出の意図などの解説に耳を傾けると、
これまで自分の気づかなかったその作品の深さを発見することがある
(もっとも、自分の作品をだらだらと解説したり、
 CGの作り方などを延々と見せられるのは興ざめだけれども)。


この『ビューティフル・ドリーマー』、ぼくは既に何度か観ている。
今回これを再び借りてきたのは、このDVDの副音声に収録されている
押井守らのオーディオ・コメンタリーを聴きたかったからである。
ちょうどやらなければならない単純作業があり、
そのBGMとしてこれが最適だと思ったからだ。
で、この読みは大当たり。
毒舌気味の押井があけすけに自作を語っている。


この『ビューティフル・ドリーマー』という映画は、
カルト的な人気のある映画だ。
それも、アニメファンというよりは映画ファンや
文学好きに熱烈に支持されている。
そこで展開されている自己言及性に刺激を受けた東浩紀にとって、
この映画は以後の彼の思索の原点であったらしいし、
プロデューサーの植田博樹は、やはり若い頃に深い感銘を受け、
ドラマ『ケイゾク』の映画にはズバリ『ビューティフル・ドリーマー』なる
サブタイトルをつけた。


確かに、この映画には観客を中毒にさせる意匠に満ちている。
出来事が円環的に繰り返され、時の流れが正常でないことを示すために
文字盤の無い時計のショットが挿入されたり、
終わらない夏休みの中で皆で観る映画が初代『ゴジラ』だったり、と。
*1


押井の発言で面白いものを引いておく。

そもそもこの映画を撮ろうと思ったのは、
水辺で遊ぶ「終わらない夏休み」のイメージを映像にしようと思ったから。
そもそもゴダールの『ウィークエンド』のようなシーンを取りたかった。

モチーフとして「水」がよく使われているが、
これは「騙し絵」的な効果、即ちエッシャーの影響
(ちなみに夜のドライブはフェリーニから)。
実は、ルパンの映画の第一作は
そのデザインとしてエッシャーとキリコが使われていたが、
それは単に美術として使われていただけだった。
エッシャーは、
デザインとして使うだけでは単に「風変わりさ」を与えるだけなのであり、
エッシャー的なデザインは、
例えば「虚構」と「現実」といった対立する二つの世界の境界線が
曖昧となるような作品に使われることで、
即ち「デザイン」と「概念」が同時に活かされるように使われることで
その作品に更なる奥行きを与える、と押井は考えた。

うる星やつら」の現場は男女関係がお盛んな現場だった。
それはこの作品自体がそういうテイストを持っていたせいだろう。
なにしろ、トリュフォーによれば、
華氏451度』の時はスタッフは皆休憩時間に本を読み、
『柔らかい肌』のときは皆恋人を裏切っていたらしいから。
作品の内容は創り手達の生活に伝染する。

高橋留美子の原作はやはり極めて「女性の手による」作品だ。
諸星あたる」は、原作では単にバカで色狂いの男のように見えるが、
実は内面的に深い男であり、それを「男の視点から」描いた話を創りたい。

他にも、この時期押井がこの映画とTVシリーズの『うる星やつら』と
『ダロス』の3つを同時進行で取り組んでいたことや、
押井が「ポンチョ・フェチ」だったことなども明らかになる*2


しかし、ぼくが最も感心したのは、
やはり押井の「映画史への豊かな目配せ」と、
「自分の妄想に根拠を与えることが映画を創る最大の動機だ」と述べる
押井の「確信犯的な創作姿勢」だ
*3
周囲を巻き込んでまで貫徹しようとする
このような姿勢の是非は置いておくとして、
この「妄想に根拠を与える」ことへの粘着的な執念を評価したい
*4
これこそすべての創り手にとっての創作の原動力なのだろう。


この作品を観て、TVシリーズも観てみたくなった。 


うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]

*1:この「終わらない夏休み」という心象風景は、後のアニメに大きな影響を与えただろう。言わずもがなだが、『エヴァンゲリオン』はこれを自覚的に踏襲しているわけだ。

*2:どうでもいいことだが

*3:街中の電話が鳴っても誰も受話器を取る人間がいない、というシーンは高校時代から抱いていた妄想そのままらしい。もっとも、押井はこの後この姿勢を極限までおしすすめて、『天使のたまご』を創り、業界から干されてしまったらしいのだが。

*4:ビューティフル・ドリーマー』以降、「残すべき価値のある映画を作るのだ、それこそが正義で、邪魔をするものは全部敵」というアグレッシブな姿勢になったらしい。