『海を飛ぶ夢』、アメナーバル監督、2005年

海を飛ぶ夢』はスペインの映画で、
最近DVD化されたけど実は公開時に劇場で観た。
興味のあるテーマでもあったのだが、
劇場まで足を運ぼうと思ったきっかけは、
玄侑宗久のレビューを読んだからだ。
以下、全文を引いておく。

観おわってしばらく、奇妙な高揚感に包まれた。

ある人々に対してこの映画は、
尊厳死に関する映画だと紹介することも可能だろう。
主人公のラモンは25歳のときに引き潮の海に飛び込み、
海底に頭を強打して首から下が不随になってしまう。
実家のベッドの上だけを住処に、
ラモンは詩を綴り、家族の世話になって二十数年を過ごす。
そんな彼がギリギリに選択したのが、
自らの尊厳と自由のために死ぬことだった。


むろん生活全般にわたって兄嫁や甥の世話になっている彼は、
自分だけの力では死ぬことさえできない。
尊厳死を支援する団体や「心の友」になる女性もいて、
実際に映画は法廷での尊厳死承認を求める闘いまでも含む。
車椅子が嫌いなラモンだが、
この時ばかりは老父と甥によって改造された車椅子に乗り込み、
バルセロナまで向かうのである。


法廷での結末は申し上げないが、
裁定まえには自殺を思いとどまるようラモンに説く司祭が登場する。
その言動をあまりに滑稽なものとして描いたアメナーバル監督は、
明らかに尊厳死についても支持する立場なのだろう。
しかしこの映画に私が感動したのは、そうした社会的な問題とは関係ない。


何よりもこの作品には、人間が生きている。
老父、兄、兄嫁、甥という家族ばかりでなく、
自らも不治の病を宣告されている弁護士フリア、尊厳死協会のジェネも、
それぞれの人生を深く生きているのが伝わってくる。


この映画は家族の物語でもあるし、むろん愛の物語でもある。
だから私のように、尊厳死には懐疑的であっても
充分すぎるほど感動できるのだろう。


周到な構成と緻密な言葉。
私は途中、何度も登場人物たちの言葉を噛み締めて反芻し、
そのたびに「この余韻にもっと浸りたいのに」と、
テンポの良さが恨めしく思えたものだった。


「帰ってほしい?」
「いや、タバコを吸わせてほしい。たのむ」


こんな会話で万感の愛を伝えさせる脚本は、錬金術のように素晴らしい。

むろん映像も、音楽も、文句のつけようがない映画だが、
わけてもこの映画の力は、
ラモンの生の質にささえられていると云えるだろう。
むろんそれは、充実した過去の思い出のことではない。
周囲の人々との温かでユーモラスな交流だけでなく、
彼はじつにリアルな「内なる世界」を生きているのだ。
冒頭とラストもそうだが、ラモンはその世界で愛するフリアとも触れあう。
それは思い出でも想像でもなく、ラモンのリアルな生の現在なのだ。


生が最後まで尊厳であればこそ、その死も尊厳たり得る。
彼の生は、英語表題のTHE SEA INSIDEを抱えることで充実し、
より尊厳になっていくのだ。
「裡なる海」とは、深い愛そのものでもあるのだろう。


それにしてもラモンがついに望みを遂げようとするとき、
その場に付き添うのが最愛の女性ではないところがあまりにもニクイ。
私はそこに、作者の技量と、人生を見る眼の深さを感じないではいられない。
そのことで、恐らくこの作品は何倍も忘れ得ぬものになったのだと思う。
朝日新聞朝刊 2005年4月14日)

こうして読み直してみても、いい文章・いいレヴューだ。
特に人間が描かれている点については同感。
ただ、少々結末が少々性急であるように思われるので、
ぼくの意見を書いておこう。


この映画の題名『THE SEA INSIDE』だが、
玄侑宗久も書いているように、
この「内なる海」はラモンのリアルな生そのものだ。
「内なる海」とは、半身不随であるがゆえに
想像によって実際の体験を補完しようということではないし、
ましてや、現実逃避的な妄想でもない。
ラモンにとって、「内なる海」を生きることはリアルな体験なのだ。
誤解のないように書いておくが、
これは障害者を哀れむ視点ではない。
ぼくが言いたいのは、
健常者の「生」と障害者の「生」は違う種類のものである、ということだ。
当たり前だが、両者に優劣はない。
ただ、健常者は障害者の、障害者は健常者の生を体験できない。
だから、ぼくも「現実的な妄想」とラモンの「内なる海」との違いを
実感できるわけではないのだが、しかし理解はできる。
玄侑宗久のいうことはそういう意味だと思う。
これは、以前押井守も書いていて、このブログでも引用した
『これが僕の回答である。 1995-2004』、押井守 (4.25)
)。
尊厳死に賛成かどうかについては、別の機会に譲る。


あと、この映画のもっとも美しいシーンについて。
ラモンが「内なる海」に入っていくシーンがあるのだが、
このシーンの美しさには今思い出してもうっとりしてしまう。
不随のラモンが起き上がり、ベッドをどかして助走をつけて
窓から飛んでいくのだが、
これこそラモンの「内なる海」、充実した「生」の映像化。
美化している点もあるのかもしれないが、
監督の意図は伝わる演出だ。

ちなみにこの映画は連れと一緒に観に行ったのだが、
公平を期すため、お互いが観たい映画を一本ずつ観ることにした。
映画の日だったので1日に2本観たのだが、
海を飛ぶ夢』はぼくの希望、
そして連れの希望は『阿修羅城の瞳』だった。
海を飛ぶ夢』は予想通り、しかし『阿修羅城の瞳』は…
渡部篤郎くらいかな、よかったのは。
あと宮沢りえはキレイだったけど。

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