『神曲』、ダンテ、挿画ギュスターヴ・ドレ

いわずと知れた古典。
あらすじや内容は当然知っていたけど、
実はちゃんと読んだことなかったので『ダンテ・クラブ』を読む前に読んだ。
といっても、これも抄訳、意訳なのだが、
この版を選んだのは、
とにかく全体を通読したかったのと、挿画のドレに惹かれたからだ。


ギュスターヴ・ドレ(1832〜1883)は19世紀最大のイラストレーターで、
「世界中の優れた古典文学を自らのイラストによって飾ること」を目指した。
その端緒となる『神曲』は、
当時の出版界において常識外れなほど大部で高価な豪華本だったため、
スポンサーとなる出版社を見つけることができず自費で出版されたが、
発表後は爆発的な反響を呼び、ドレの名はヨーロッパ全土に広まったらしい。
ぼくはドレの『聖書』も読んだが、他にも『ドン・キホーテ』、『失楽園』、
アーサー王物語』などがあるらしい。


ドレの挿画は有名らしく、
映画やテレビの特集などでよく目にする。
『ダンテ・クラブ』のカバーもこの挿画だし、
『セブン』でモーガン・フリーマンが猟奇的殺人犯の意図を探るために
図書館で手にとるのもこの本だ。
実際、非常に丁寧に描きこまれた絵の数々は、眺めているだけでも楽しい。
まさに大人の絵本である。


肝心の内容だが、抄訳、意訳とのことだが、充分楽しめた。
正確には、大いに知的好奇心を刺激された、というべきか。
通読してみると、映画や小説など、様々なサブカルチャーで目にするモチーフが
神曲』に範をとっていることがわかる。
また、『神曲』といえばなんといっても「地獄篇」が有名で、
「天国篇」はそれに比べて描写の量も少ないのだが、
その事実も興味深く思った。
ラストを引用しておこう。

ヨハネら聖者たちは)最後に、私の力を試すかのように、
様々な質問を私に対してなげかける。
希望とは、愛とは、平和とは、信じることとは何か。
まったく唐突なそれらの問いに対して、
私は知らずにこだまのように答えを返して、
一瞬もためらうことがなかった。
蜂はどんなに遠くへ行っても、
花の中にもぐりこみ向きを違えて出てきても、
だれにも教えられることなく、
おそらく考えることすらせずに、一直線に巣へと向かう。
渡り鳥が故郷を目指す、
流れを超えて川を上る魚はけっして誤ることがない。


おそらく人間にとって愛とはそうした初原の力なのだ。
私の中の熱い何かが、彼方に輝く白い光のバラと呼応する。
まっしぐらに光の梯子を舞い昇りながら、私はどこまでも自由だった。


ベアトリーチェがそばにいた。
彼女は前を向いていた。
私は光のなかにいた。


智は光
愛は光
光は全て!


ありうることを
なしうることを
もとめうることを
あなたとともに


私は愛
私は光

細部は原語をあたりたいところだ。


興味深いところは、天国のイメージが「光」であるところだ。
これは創世記の「光あれ」という神の言葉に呼応しているのだろう。
また、ベアトリーチェという「女性」に救われる、
という構図も西洋文学の伝統といえるだろう。


また、これはよく言われることだが、
なぜ、地獄篇の描写は露悪的といえるほど具体的で生々しいのに、
天国篇は一変して現実感が乏しく、抽象的に描かれるのか。


これはキリスト教徒でなくても一向に値する問題だ。


やはり、古典にはそれだけの価値がある。
以後、何度も読み返す本だろう。

神曲

神曲

神曲

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  • 作者: ダンテアリギエリ,谷口江里也,ギュスターヴドレ,Dante Alighieri,Gustave Dor´e
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  • メディア: 単行本
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