『心は転がる石のように』、四方田犬彦、ランダムハウス講談社

四方田犬彦の2003年〜2004年のエッセイ集。
ひとつのジャンルに限定されたものでなく、
強いていうならば時事ネタについて自由に書かれている。


ラスト・サムライ』はコッポラの『地獄の黙示録』の日本版だとか、

机と椅子は責任の家具であるが、寝台は無責任の家具である。

というロラン・バルトの言葉や

どうでもいいことは流行に任せておく。
大切なことは世間の常識に倣う。
けれども一番大事なことは、自分の心に従う。

という小津安二郎の言葉もいいが、

みんなが知っているけれども、公然と口にしてはいけないこと、
というものがある。
それをいわないことが大人の約束だと、
暗黙のうちに言い交わしていることがある。
批評とは勇気を出してそれを指摘し、明るみに出して分析することだ。
王様は裸だと叫んだ、アンデルセンの童話のなかの子供のように。

なんていうちょっとしたフレーズが小気味いい。
また、冒頭のロゼッタ・ストーンからインティファーダへとつなげる
ロゼッタ」はエッセイの模範のような文章ではないか。

しかし、ぼくが今日ここに引いておきたいのは、
傷痍軍人について書かれた次の文章。

傷痍軍人は、どこへ行ってしまったのだろう。
多くの人が彼らを、第二次世界大戦で重傷を負った日本の兵士だと、
漠然と信じている。
だが、このいい方は正確ではない。
厳密にいえば、彼らは総督府の勧誘に乗って、
台湾や朝鮮といった植民地から志願して戦った兵士である。
そして日本が敗戦した後に、
1952年のサンフランシスコ講和条約によって
日本国籍を剥奪された者たちなのだ。


敗戦後も日本人であり続けた多くの復員軍人には、
生涯にわたって軍人恩給が支給され、
彼らはたとえ身体障害者としての生活を送るとしても、
それなりに経済的に保障された人生を送ることができた。
だが、ひとたび日本人をやめてしまった者たちに対し、
戦後の日本政府は冷淡であり、いっさい無視をきめこんだ。
思い余った彼らのうちには、大韓民国の領事館に訴える者もあった。
だがここでも彼らは門前払いを食わされた。
四肢を喪ったり、盲目になったりしたこの元二本兵たちは、
戦後の日本社会のなかにあってもっとも底辺の生活を余儀なくされた。
誰かが思いついた。
こうなったら自分たちの主張を社会に理解してもらうために、
白衣を着て街頭に立とうではないか。
こうしてあの名高い傷痍軍人が誕生したのである。

これに続いて、傷痍軍人たちは
いつのまにか街中から姿を消したことが述べられる。
恐らく、世間に充分に理解されないまま、
人知れず亡くなっていったのだろう。
「続報のないニュースも、解決したわけではない。」
本書の帯の言葉だ。
続報どころか、事実すら知られていないこの状況は誰のせいなのか?


ぼくはこのような事実を知るたびに哀しくなる。
だが、状況を変えるのに必要なのは、哀しみでなく怒りなのだ。
そして、この怒りはどこに向けるべきなのか?