『旅の王様』、四方田犬彦、マガジンハウス、1999年

四方田犬彦の旅についてのエッセイ集。
実は、初めて読んだときはこの本をあまり楽しめなかった。
うんちくが少なくて中身が薄いなあ、なんて思ってたくらいだ。
しかし、今回まとめておこうともう一度読み返したら実に面白かった!
確かにこの本は他の四方田氏の著作ほど
うんちくは溢れてはいないかもしれないが、
この本では、
むしろ四方田氏の行動原理・判断基準とでもいうべきものが展開されている。


以下、面白かったものを引いておこう。

旅先でその土地の言葉で話し掛けようとしても英語で応答されたとき、
いくぶんかの不満が残る。
それは、その土地に行ったらその土地の言葉を口にするのが当然であり、
たとえ挨拶程度でもそれを齧っておくことは、
旅行者が未知の土地に対して表す、
もっとも素朴な敬意のあり方だというこちらの思いが、
どうやら通じていないと思い知らされるからである。

あるひとりの人物を、男でもいい、女でもいい、
間近なところで理解してみたいと思うならば、
旅行というのは悪くない方法ではないかと、わたしは思う。
なるほどいっしょに棲むという手もないわけではないが、
これは家財道具を運んだり、
引越の手伝いの連中に一杯呑ませたりしなければいけないから、
けっこう手間がかかるし、
第一、 場合によってはツブシがきかないときがある。
旅行というのはその点、それが終わればひと区切りが付くし、
何しろ日常の生活からはなれて、
その人間のひととなりを観察するには絶好の機会だというべきであろう。
もし危機に陥ったとき、またこれまでの自分の流儀では
とうてい理解できそうにない人々と、
話をつけなければならなくなったとき、
その隣人がどう行動し、どのようなモラルを垣間見せるか。
それを知るためには、
とりあえず自明の場所を離れてみるのが一番ではないだろうか。

子供にものを与えたり、約束ごとをしたりするときには、
けっして軽々しい気持ちで行ってはならない。
というのも、子供は得てして目の前に差し出されたものを、
あたかも全世界のモデルとして受けとってしまうのであって、
それは歳月を経るごとに彼が現実の世界を認識する際に、
しばしば原型的モチーフとして働く場合があるからである。

わたしの主義信条とは、
人目に厳粛で難しいと考えられている問題こそ
ザックバランに、軽快に論じ、
誰からも軽んじられている問題は逆に真剣に、大真面目に
取り組もうということにある。

旅行するとき、文庫本を2,3冊携帯するが、
こういうときは一冊は、
これまで何回となく読み古したものを混ぜておくといいというのが、
わたしの経験から得た知識である。

いい文章というよりも達意の文章というべきか。
言葉は決して自然に心から浮かんでくるものでなく、
絶えず言語化の努力をしなければ生まれてこない。
その点、四方田氏の文章はとても勉強になるのである。


また、亡くなった祖母の机の引出しの奥から、
四方田氏が送った60枚もの絵葉書が出てきた挿話から始まる
「絵葉書を出す」という話もいい。


この本もこれから何度も読み返す本になりそうだ。


ただ、

人間はたったひとりで食事を続けることに
耐えられなくなったときに結婚を決意するのだ、
と名を失念したがフランスの哲学者が言っていたが…

とあるんだけど、こここそビシッと押さえてほしかった……。
*1

旅の王様

旅の王様

*1:この本については、id:tokoriさんも触れていた。