『ウィスキー』、ウルグアイ、2005年

とても繊細で、そして地味な映画だ。
なにしろ、メイン・キャストは、
遠く離れて暮らし、靴下工場を経営して生計を立てる兄弟と、
その兄に密かな恋心を抱いているでのあろう工場の古株の婦人の3人だけど、
3人とも50歳を超えている。
で、ほとんどBGMはなく、
観る者に特定の感情を喚起させるような音楽も使われない。
それでいて、兄の弟に対する嫉妬、弟の兄に対する愛情、
老婦の兄に対する思慕の念、
そしてそれに気づかない兄の鈍感さ・無神経さなどが、
静かに、しかしはっきりと示される。
その方法は、役者の目付きだったり、
意図的に差し挟まれるアップだったり、
執拗に反復されるシーンだったりと非常に映画的な方法で、
映画の文法に非常に意識的。
その姿勢は、だらだらと登場人物に感情を説明させたり、
大げさな音楽を使わなくとも映画を撮ることはできる、
ということの主張のようだ。
いや、むしろ繊細な人間模様を伝えるのには
むしろそれらは邪魔な要素なのであり、
この静的な撮り方でなければならない、
という意図的な提示と捉えた方が自然か。
その意味で、ラース・フォン・トリアードグマ95
通じるところはあるかもしれないけど、
あそこまでストイックではなく、アキ・カウリスマキみたいな感じ。
まあ、あそこまで人工的じゃないけど。


この静的な演出は、この3人について観る者があれこれと妄想することを許し、
映画に奥行きをもたせることに成功している。
ラストも少々唐突な終わり方で、物語の結末をあえてを提示しない。
いわゆる「後は自分で考えて」というものだが、
確かに、この映画はこの終わり方がベストだ。


ちなみに、タイトルの『ウィスキー』は、カメラを撮る際の決り文句。
日本では「チーズ」ってやつだ。「1足す1は?「2!」」でもいい。
韓国では「キムチー!」だそうだ。
これは、それぞれその語を発音するときに口角が広がって
強制的に笑顔になるからで、
「ウィスキー」も、映画の中で写真を撮るときに使われる。
この言葉がタイトルに使われた理由などを考えるのも楽しい。
観る者の解釈を許す、何度観ても飽きない映画だろう。


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