『現代思想としてのギリシア哲学』、古東哲明、講談社選書メチエ、1998年

この本について、以前古代ギリシアが専門である友人に聞いてみたら、

ゴミ。みつけたら捨てろ。

というメールが送られてきた。
しかし、そのすぐ後に、

失礼。ゴミといったらゴミに失礼です。

という追伸が来た。

これはちょっと言いすぎだと思うけど、
確かに古代ギリシアの専門家がそういいたくなるのもわかる。
書名のとおり、古代ギリシアの哲学が現代思想に通ずるものがある、
とする論旨は、あまり生産的な古代研究とは思えないもんね。
これ、論文形式じゃなくて、
エッセイとか小説のほうが面白いものになったのではないだろうか。
以前に一度読んで、まとめてから売ろうかと思ったけど、
このまま売ることにする。
古代ギリシア哲学を勉強するなら、もっといい本があるはずだ。


講談社選書メチエは、その性格をもっとはっきりすべきだ。
後ろの野間佐和子の「メチエ刊行の辞」を読んでも、
この選書メチエが何を意図して刊行されているのか
よくわからないのだけれど、
哲学・思想関係に限れば、

「新進気鋭・または一般に人気のある研究者の、
 オーソドックスな学説とは若干異なる自説を、
 一般の読者に向けて、ときに入門書という形式で語るシリーズ」

になってるように思う。

これはよく言えば「研究の最前線を伝える」
ということになるのだろうけど、
このシリーズで「入門」した人は、
以後その分野に偏った関わり方をしてしまうのではないか。
須藤訓任の『ニーチェ 永劫回帰という迷宮』も、
わかりやすい言葉で書かれていて、
ニーチェに詳しければ詳しいほど面白いのだけれど、
一般の人があれを読んで何を学ぶのか、ぼくには上手く想像できない。


この原因は、哲学・思想の研究者が発表する媒体が非常に限られており、
なかなか自説を発表する場に恵まれない、ということもあるのだと思うけれど、
もう少しなんとかならないのか。
ぼくには、一般の読者を騙して商売しているように見えてしまうのだ。


そして、本書はその典型である。         
……ところが、ちくまから再版しているようだ。
うーん……。

現代思想としてのギリシア哲学 (講談社選書メチエ)

現代思想としてのギリシア哲学 (講談社選書メチエ)