『ニーチェが泣くとき』、アーヴィン・D・ヤーロム(金沢泰子訳)、西村書店、1992(一九九八)

19世紀末のウィーンを舞台にした、実在の人物をモデルにしたフィクション。
主人公は哲学者のニーチェ精神分析学者のブロイアー。


もしも、『悦ばしき知識』を書き、『ツァラトゥストラ』を書くまでのニーチェが、
精神分析学の黎明期に大きな役割を果たしたブロイアーの治療を受けたとしたら…
というフィクション。
どちらも、直後に世界に大きな影響を与える仕事をする運命にあり、
その意味でこの時期にこの出会いを想像するのは面白いことかもしれないが、
作品として成功しているかどうかはちょっと疑問。


ブロイアーによるニーチェ精神分析治療が、
そのままニーチェの「力」をめぐる考察の実践であり、
治療の場では優先権が移動し続けることを描こうとしている……
のは理解できるし、試みとしては評価したい。
けど、読み物としてはあまり楽しめなかったな。


そもそも、この本の位置づけがよくわからない。
この時期のニーチェの思想に興味があるなら何かモノグラフィを1本読めばいいし
(もっとも、あまりいい研究がないのも事実だけど)、
精神分析学の揺籃期の雰囲気をつかみたいなら、
そういった専門書を読んだ方が勉強になる。
読者層がよくわからないので、この本、訳す必要があったのかかなり疑問です。
ぼくは訳す必要なかったと思う(ただ、会話の処理が少々単調だけど、訳自体は悪くない)。
読者としては、ニーチェファンよりも精神分析学に興味がある人の方が楽しめると思う。
著者も精神分析学関係者だし。


まあ、終盤、ブロイアーがフロイトの助けを借りて一種の催眠療法を行っているときに
元患者のベルタ(アンナ・O)や元看護師のエヴァを訪れるところは、
まるで『ハイ・フィデリティ』のようでちょっと面白かったりするけど
(ベルタの治療は、その後、フロイトとの共著、『ヒステリー研究』に結実する)、
結局のところ、位置づけがよくわからない本です。


以下、知識面で勉強になったところ。


ブロイアーの患者。
ブラームス、ブリュッケ、ブレンターノ、ヴィトゲンシュタインブルックナー
交友関係
フーゴ・ウルフ、グスタフ・マーラー、シュニッツラー

スウェーデンボリメスマーは、近代オカルティズムの2大源流

ユダヤ人は豚肉を食べないのにもかかわらず「豚」呼ばわりされた。
(その理由)
スペインに移住したユダヤ人(セファルディム)の中にはキリスト教に改宗する者「コンベルソ」が現れた。
しかし彼らはユダヤ人たちから「マラノ(豚)」と呼ばれ、蔑視された。

イスラムユダヤは豚肉忌避、ヒンドゥーは牛肉)
(その根拠)
「かれがあなたに(食べることを)禁じられるものは、
死肉、血、豚肉、およびアッラー以外にそなえられたものである」
コーラン。ただし、他に食べるものが無い場合に限り、食べてもよいとされる。)


旧約聖書の「レヴィ記」の記述による。
彼らが食べて良いものは(食肉に限って言えば)「ひづめが割れて、しかも反芻するもの」のみ。
豚はひづめが割れていますが、反芻しません。
だから、食べてはいけないとされる。」

ニーチェが泣くとき

ニーチェが泣くとき