『勝つために戦え!』、押井守、エンターブレイン、2006年

あまり期待してなかったけど、『スカイ・クロラ』は面白かったな〜。
ただ、戦闘シーンは必要以上に凝りすぎだと思うし、
テーマ自体が日本に特殊なものであり、徴兵制があるなど、
本当に死が日常である国々でも同じ問題意識を共有できるのか、
という四方田犬彦の指摘はもっともだと思うけど*1


内容の収録時期は『イノセンス』公開前後、出版は『立喰師烈伝』公開前。


誤解を招きやすい題名だが、要は「明確な勝敗基準を自ら設定し、その基準で行動すること」を説いている。
「○○のために勝つ」という考えは間違っている、らしい。

押井
(押井がゲームをする)目的は単に“勝つため”なんだよ。
勝つっていうことの中にはそういう側面があるんだよね。
勝つことによってしか満たされない、動機自体が。


○○のために勝つんだ、という動機があるのは、勝敗論敵には実はダメなんだよ。
その時点で勝負自体に負ける構造を含むから。
“勝つため”ということ自体が自己目的化している場合は勝敗論的に非常に有利になる。

簡単に言っちゃえば「勝負自体を楽しめ」ということだろう。

そもそも勝敗を純然たる娯楽として考えられるのはある種の人間だけで、
バクチなんて時間の無駄だと思っているお利口は大勢いるわけ。
彼らにとっての勝負というのは実人生のことなんだけど、
でも僕にいわせりゃそういう人間は実人生の勝敗に必ず負ける。
自分自身がいわばその勝負に張る元手になって、自分の人生を張り込んでるんだよ。
そういう勝負に余裕があるわけないじゃん。
だから自分と勝負との距離が取れない。
そもそも実人生の勝負に勝つなんてこと自体が、僕に言わせると幻想だよ。
勝ち組も負け組みもない。
なぜなら自分の人生の勝敗っていうのは自分でルールを決めなくちゃいけないから。
勝ったといえば言い張れるし、負けたと思えばどんなに買ってても負けなんだよ。
客観性のない勝負は勝敗論として成立しない。
だから勝ち組も負け組みも幻想だって。
世間には僕のことを勝ち組だとか言ってるヤツがいるけど、そりゃとんでもない話でさ。
確かに僕は今まで好き勝手やってきたけど(笑)、僕がジジイになってやっぱり人生は無駄であったとか、
映画なんてやめときゃよかったとか言うかもしれないしさ。
しかし個々の局面での勝った負けたは無限にあるんだから、
それを累計したとしても、トータルで勝った負けたって言えないよね。
麻雀に負けても負け、映画がこけても負け、同じに語れないでしょ?

まともなこと言ってると思います。
特に、バクチなどで勝負勘を身につけておかないと、
実人生の勝負で負ける、というところとか。

あと、

(押井の好きな言葉)「二階の厄介息子の席を奪うな」。
変わり者とか変人とか呼ばれている人間に席を用意するのが、進歩した社会の絶対条件。

と述べてるけど、これにも深く同意です。

勝つために戦え!

勝つために戦え!

*1:読売新聞, 2008.8.20