『この人を見よ』、マイクル・ムアコック・(翻訳)峯岸久、ハヤカワ文庫、一九八一(1968)年



この人を見よ (ハヤカワ文庫 SF 444)

この人を見よ (ハヤカワ文庫 SF 444)

小説を読むのは久しぶりだな〜。
これも以前哲学を学んでいたときに何かのついでに買った本。
『この人を見よ』の「この人」というのはキリストのことで、この言葉自体は聖書の言葉。
ニーチェが自分の自伝にこのタイトルを付けたことから爆発的に知られるようになった
(ただ、本書の英語原題、’BeholdThe Man’は、ラテン語原典では’Ecce Homo’。
 この言葉は、文脈上「見よ、あの人だ」と訳すのが正しく、実際、和訳の聖書もそう訳してあるらしい。
 詳しくは、須藤訓任ニーチェ 永劫回帰という迷宮』参照)。
ある時期、ニーチェに関係のあるものは全部読んでみようと思っていたときがあり、
この本もそのときに読んだ。


背表紙のあらすじ。

現代社会が生んだ、病める神秘主義者カール・グロガウアーは、キリストの生涯に異常ともいえる執着をおぼえていた。彼は、市井の科学者の手になる未完成のタイム・マシンを入手するやキリストの最期を見届けるべく、過去へと旅立った。目指すは西暦29年、場所はエルサレム。だが、彼が見たのは、意外なキリストの姿だった。


はたして、歴史は虚言なのか? それとも……? 過越しの祭のさなか、やがてゴルゴダの丘に十字架の立てられる運命の時が刻一刻ときざまれてゆく……イギリスSF界の鬼才ムアコックが描く、ヒューゴー賞受賞に輝く問題中編の意欲的長編化作品!

まあ、このあらすじを読めばだいたい内容予想できるけど、その予想どおりのオチでした
(グロガウアー=キリストということ)。
ニーチェともあまり関係なし。
これ、発表当時は波紋を読んだだろうな、と脊髄反射的に思ってしまうけど、
この本よりも、外国人が脊髄反射的にそう思わせてしまうくらいに
キリスト教が浸透してる社会が世界で覇権を握っている、ということの方がすごいことかもね。

この人を見よ (ハヤカワ文庫 SF 444)

この人を見よ (ハヤカワ文庫 SF 444)