町山智浩による『グラン・トリノ』ポイント解説! (『映画秘宝』2009年6月)

グラン・トリノ [DVD]

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映画秘宝 2009年 06月号 [雑誌]

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以前に読んだ『映画秘宝』(2009年6月)で、
町山智浩が『グラン・トリノ』について書いていた内容があまりにも素晴らしいのでここに引いておく。

公開前に必読! 『グラン・トリノ』を完全に理解するための5つのポイント



グラン・トリノ』はアメリカについて何も知らないで観ても感動する映画だけど、知っているともっと深く観ることができる。
ここではパンフレットにも載っていないポイントを話そう。



1. グラン・トリノってどんな車?
 グラン・トリノという車は1972〜76年にフォードが生産していた巨大なアメ車。当時のデカくて強いアメリカを象徴するように、デカいくせにツードアでろくに荷物が入らないような車でも、大きければ大きいほど売れた時代だった。イーストウッド演じるコワルスキーは、72年にフォードの組立工としてグラン・トリノのハンドルを作っていて、それをいまでもピカピカに磨いて大切にしている。
 なぜ72年型なのか?といえば、翌年に起こった石油ショックで石油価格が世界的に高騰したので、燃費がよくて故障しにくい日本車か売れ始め、燃費の悪いアメ車の売れ行きが落ち始めたからだ。それからアメリカの自動車産業が崩壊し続け、ついに2008年には破綻してしまった。だから72年型グラン・トリノは、アメリカの自動車産業の最後の輝き、古き良きアメリカの象徴なんだ。



2. 主人公がポーランド系の理由
 また、イーストウッドが演じるコワルスキーはポーランド系なんだけど、これも重要だ。アメリカの自動車産業が始まった頃、工場で働いたのは、南部から流れてきた元黒人奴隷たちと、ヨーロッパから移民してきたばかりのポーランド系、チェコ系、ロシア系、ギリシヤ系、アイルランド系、イタリア系といった非WASP、つまリカソリック東方正教の人々だった。彼らはとても貧しくて、自分たちの国の字も読めなかった。でも、彼らの子供たちはフォードが開校した職業学校に通って、昼は勉強、夕方以降は工場で働いた。た'からコワルスキーは14歳頃から定年まで50年近くフォードで働いてきたんだ。
 彼らのおかげて、自動車はアメリカで最大の産業になった。GMが1番、フォードが2番で、最盛期にはアメリカ人の6人にひとりが自動車産業に従事していた、まさに移民のハードワーカーたちかアメリカを作つたんだ。貧しい移民の子たったコワルスキーたちも自分の家を持ち、息子を大学に入れてアメリカン・ドリームをかなえた。でも、そこまでだった。自動車産業は落ちぶれて、息子はトヨタのセールスマンなんかをやっている。
 コワルスキーはデトロイトの湖畔のグロス・ポイントという地域に住んでいる。ここは自動車産業で金持ちになった人々のあこがれの高級住宅地だった。ところが自動車産業がダメになるとみんな職を求めて違う州に引っ越して、代わりに白人以外が住みついて、仕事かIないから犯罪が増えて、荒れ果てたギャング地帯になってしまった。
 コワルスキーはそれでも引っ越そうとしない、新しいアメリカから古き良きアメリカを最後まで死守するのは、オレしかいないと信じているから、朝鮮戦争で陣地を守り通した時のように、彼の家は砦なんだ。
コワルスキーは「何の仕事をやってるの?」つて訊かれて、「機械を直すことだ」と答える、洗濯機がガタついてるのが気になって直したり、壊れた冷蔵庫を自分で直すからといってもらってくる。庭の手入れ、車の手入れ、機械でもなんでも片っ端から直す。つまり、彼がやっていることはメンテナンス。「古いものを維持し続けること」ということ。 ここにも、失われていくアメリカを守ろうとするコワルスキーの想いが表現されている。



3. アメリカの男の仕事とは?
 ところがそんな彼の砦の隣に、モン族の一家が引っ越してくる。そして、いじめられっ子のモン族の少年を男らしくするよう頼まれる、彼が少年にやらせたのは庭仕事や掃除ばかりだ。少年が「こんなのは女の仕事じゃん」って言うとコワルスキーは「これがアメリカの男の仕事だ!」って怒る。
それはアメリカ人独特の考え方なんだよね。彼ら貧しい移民たちはアメリカに来てはじめて悲願の土地や家をマイホームを持つことができた。だから、もう本当に大事にする。

特に男にとっては芝生や家をどれだけ綺麗にするかが男の価値になる。「チンコが小さくても芝生はきれいにしろ」と言われてるくらいだ。だから、週末になるとアメリカの男は自宅の庭でバーベキューをやる。「オレはこんなに芝生や庭をきれいにしてるんだ!」つて、アメリカの男であることをアピールをするためにね。
 オレもアメリカに家を持って芝生を刈ってると隣近所の旦那たちがひっきりなしに「そうじゃないよ!」とうるさく口を出してくる。男たちはいつも家の話をしてるよ。屋根は雨漏りしないか、ポーチはちゃんと修理したかとか。で、男の日曜日の楽しみは庭仕事を終えて、ポーチでビールを飲みながら「俺も一国一城の主だなあ」と満足すること。まさにコワルスキーも同じことをやっているんだ。



4. モン族つてどこの人たち?
 で、モン族だけど、彼らはラオスの山岳民族なのになぜ、アメリカにいるのか? その理由が複雑だ、60年代、ベトナム戦争の頃、ラオス王国ベトナムとの国境地帯は共産軍に支配されていて、そこが北ベトナムから南ベトナムのゲリラに武器を送るルートになっていた。アメリカはそのルートを断ちたいけど、ラオス国内に軍は送れない、そこでモン族を軍事支援して、共産軍と戦わせた。モン族はもともと戦闘的な民族なので勇敢に戦った。『地獄の黙示録』はその事実をモデルにしたらしい。ところがアメリカがベトナム戦争に負けてインドシナから撤退して、モン族を置いてけぼりにして
しまった。ラオスは共産軍に支配され、モン族は反体制分子として弾圧され、命からがらアメリカに逃げてきたんだ。
 つまりモン族はアメリカに利用された被害者で、コワルスキーの罪の意識を掘り起こす存在だ。はっきり言わないけど、彼は朝鮮戦争でア
ジア人を大量に殺した罪の意識があって、それで偏屈になってしまった。死んだ奥さんが「あの人には懺悔したいことがある」と言っていたのはそのことだ。でも神父に懺悔するとき「息子に心が開けなかった」としか言わない。なぜかといえば人殺しの罪は、懺悔しただけで贖えるものじゃないからだ。



5. コワルスキー=ハリー!?
 そして彼は贖罪をするんだけと、明らかに、ショルダー・ホルスターに入れた拳銃をゆっくりと抜くというダーティ・ハリーのパロディをしてみせる。『グラン・トリノ』は『ダーティハリー』をものすごく意識した映画だよ。コワルスキーの妻の葬式から始まるんだけど、最初のセリフが「ジーザス・クライスト(なんてこった)」。『ダーティハリー』でも最初のセリフは同じだった。スコルピオが犯行現場に残した銃を見て、ハリーがそうつぶやく、イーストウッドはハリーや西部のガンマンとして、さんざん悪者を自分の法律で裁きまくってきたけど、それを朝鮮戦争でアジア人をたくさん殺してきたコワルスキーにダブらせている。
 『許されざる者』以降のイーストウッドは、ずっと自分の贖罪の物語ばかり作ってるね。
 コワルスキーはグラン・トリノをモン族の少年に遺す。あんなにアジア人が嫌いだった男が。エンド・クレジットで流れる主題歌にもあるとおり、グラン・トリノとはコワルスキー自身のことだし、それを他人に授けるということは、アメリカン・スピリットの継承を意味している。
アメリカの魂を継ぐのは白人とは限らないということだ。思い返せばイーストウッドはこういう話ばっかり作っている。『ハートブレイク・リッジ』なんかも、黒人やメキシコ人にアメリカ兵の魂を叩き込む軍曹の話だったし。
 こんな感じで『グラン・トリノ』はものすごく深い話なんだけど、オスカーにはノミネートされなかった。全米では大ヒットしたし、レビュ一も絶賛の嵐だったのに。その理由は、配給元のワーナーが会社としては超大作の『ベンジャミン・バトン』をオスカーに推したから。ノミネートは映画会社が決めることだから、ひとつの映画会社が2本以上の映画を推すことはない。イーストウッドは俳優はこれが打ち止めと言ってるけど、今回のワーナーの仕打ちに怒ってまた映画に出るかもね。

完璧な批評です。
これ以上、何も言うことありません。
勉強になるなー。


この号の『映画秘宝』は表紙がジージャーだった!
これも嬉しい。

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