『ニヒリズム』、川原栄峰、講談社現代新書、一九七七年



ニヒリズム (1977年) (講談社現代新書)

ニヒリズム (1977年) (講談社現代新書)

以前、哲学を専門に学んでいたときに、何かのついでに買って読んだ本。
棚を整理するために読み返した。
わりと細かく哲学史を踏まえて解説してて、ざっくり復習することができた。
小ネタを2つ引いておく。

もともと「ニヒリズム」という語はキリスト教教会研究者がキリスト教にたてつくものを叱責するために用いた語であった。
→ 中世では「異端」、近代では「ニヒリスト」。

ニーチェドストエフスキーをフランス語訳で読んだ(『虐げられた人々』『死の家の記録』『悪霊』は確実、『地下生活者の手記』は要約を読んだだけ)。

哲学史を踏まえての本書の議論が、
最終的に「退屈」という現代に通底する精神性に帰着するのはちょっと肩すかしというか期待外れというか…。
でも、結局ハイデガーの言いたかったこともそういうことなのかな?

ハイデガーのいうような「存在忘却」、「故郷喪失」、「ニヒリズム」はどこから来るのか?)
ここが大事な点なのだが、「退屈(langeweile)」とは長い時間ということであった。だから根本気分としてのこの「或る種の退屈」を「生存の深淵」で経験するということは、現存在の根源的時間性に触れるということではある。そういう意味では、これはすでに「求められている故郷への隠れたる動向」であり「郷愁」なのだ! だから「退屈」において、いたずらに「存在者が有ろうと無かろうとどうでもよい」状態に低迷せず、これを故郷喪失における「郷愁」なのだといわば肯定的に転換し、そこから根源的時間性へと突破することによって、「根源に近く住む」(ハイデガーのもっとも愛好するヘルダーリンの句)ことに努めるべきなのであり、そのことをできる者だけが詩人(Dichter)と呼ばれ思想家(Denker)と呼ばれうるのである。

たまにはこういう本を読んで、昔学んだことを思い出してみるのも悪くない。以前は書かれていることをすべて理解し、実感として吸収しなければいけない、と考えていたが、いまはフラットに「抽象的な議論を理解するトレーニング」として読めるのが新鮮な体験だった。

ニヒリズム (1977年) (講談社現代新書)

ニヒリズム (1977年) (講談社現代新書)