『モーターサイクル・ダイアリーズ』、イギリス=アメリカ合作、2004年

“This is not a story of incredible heroism,
or merely the narrative of a cynic;
at least I do not mean it to be.
It is a glimpse of two lives that ran parallel for a time,
with similar hopes and convergent dreams. ……
…Is it that our whole vision was never quite complete,
that it was too transient or not always well-informed?
Were we too uncompromising in our judgments? Okay,…
…The person who wrote these notes passed away
the moment his feet touched Argentine soil.
The person who reorganizes and polishes them,
me, is no longer, at least I’m not the person I once was.
All this wandering around “Our America with a capital A ”
has changed me more than I thought….”


(これは人を感心させるような偉業の話でもなければ、
 単なる「ちょっぴり皮肉な物語」でもないし、
 少なくともそれは僕の望むところではない。
 これは、願望が一致し夢が一つになったことで、
 ある一定の期間を共有することになったそのときの、
 二つの人生のひとかけらである。…
 …人間の目というものは広い視野を持ったことなどなく、
 いつも移ろいやすくて、必ずしも平等な見方をするとは限らず、
 判断があまりにも主観的すぎると? そうかもしれない…
 …これらのメモを整理し、きれいに整える「僕」とは、僕のことではない。
 少なくとも内面は、前と同じ僕ではない。
 この「果てしなく広いアメリカ」をあてどもなくさまよう旅は、
 思った以上に僕を変えてしまった。)


私はスペイン語が出来ないので、英訳はHarper Perennialのものを、
そして邦訳は角川文庫のものを引いた。
映画の冒頭と終りに引用されるこれらの言葉は、
原書の冒頭にも掲げられている言葉だが、この映画の内容をよく表している。*1 


映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』は青春映画だ。
「世界で最も美しい革命家、ゲバラの若き日々の思想の変遷の〜」といった観点からではなく、
四方田犬彦の言葉を借りるならば、
「まだ人生を始めていない若者の、その決定的な一歩を踏み出す前の逡巡」の物語である。


人生を変えるような旅。
そんな体験を私はしたことがあるだろうかと自問し、
エルネストとアルベルトに軽い嫉妬をおぼえた。

後のゲバラに顕著な、純粋すぎるがゆえに躊躇せずに「粛清」を行う
ラディカリズムが充分に描かれていないことが少々気になるが、
これをプロデュースしたロバート・レッドフォードは偉い。
やはりこれは現在のアメリカ政府の対外政策に対する批判の意味もあるのだろう。
ゲバラは1967年、CIAの工作によって射殺された。


ここで連想されるのが、「南米は北米と裏表の双子の関係である」という
菊地成孔の言葉である。

……北米に対する幻想的な批判が、自然にブエノスアイレス、南米全域に定着しているわけね。南米と北米はシャム双生児みたいに繋がっていて同じ血が流れているんだけど、お互い憎悪と憧れ、優越感ですごい複雑なことになってる。……(「Barfout! Vol.117」(MAY.2005))

*2
私はこれまで、北米と南米を区別して考えてきたが、
今後、両者の「近さ」についても考えていきたい。

最後に、ウォルター・サレス監督、笑顔が爽やかすぎます。


*1:ちなみに、字幕を読む限り、冒頭で使われた部分は更にカットされ、いっそう印象的な言葉に編集されている。うまいものだ。

*2:菊地の南米を大きく特集したのが、いうまでもなくEsquire(JAN.2005)だが、どう考えてもフィーチャーしすぎだ。菊地が「Esquire」の表紙を飾るなんて、一体誰が想像できただろう?