『I'm tryin’ to get home』, Donald Byrd, 1964, Bluenote(4188)


私のこれまでの人生で悔やまれるのは、中山康樹四方田犬彦、そしてドナルド・バードに10年早く出会えなかったことだ。


だが、「10年早く出会えなかったこと」を悔やむよりも、「10年遅くても出会えたこと」に感謝すべきなのだろう。


このアルバムは、年季の入ったジャズファンとフリーソウル好きの若者達との間で評価が分かれるところではないだろうか。


歴史的名盤(と言ってしまおう)の『A New Perspective』(1963)の翌年に、
やはり同じ人間、コールリッジ・パーキンソンによってプロデュースされた
このアルバムは、通常のコンボに、コーラス隊とブラスセクションが加えられた編成で、4ビートジャズというよりも、ソウル、ゴスペルのようなファンキーな音楽である印象が強い。
そう、とにかくファンキーで楽しいアルバムだ。


実際、私もこのアルバムの1曲目、「Brother Isaac」に初めて出会ったのは、
ヒップホップのDJ、MUROがミックスした
『Incredible ! –Blue Note DJ Mix by MURO』だった。


この曲のイントロの、5月の風のようなVoicesのコーラス
(これに重ねられたピアノがまたいい感じだ!)が、
一瞬にして部屋の雰囲気を変えてしまったのをよくおぼえている。


メンバーも充実している。
コンボ・メンバーでは、テナーがスタンリー・タレンタイン
オルガンはフレディ・ローチ、ギターはグラント・グリーンだし、
そして何といってもピアノが若きハービー・ハンコック(!)なのである。


さらに信じられないことに、ブラスセクションは、
トランペットにErnie Royal, Snooky Young, Clark Terry、
トロンボーンにJ.J.ジョンソン、ベニー・パウエルだ。


贅沢なミュージシャンの使い方である。
これだけみても、悪くなるはずがない。


しかし、その中でも光るのがハービー。
ファンキーな曲では、でしゃばらずにバッキングに徹しているものの、
Tr.2の三拍子のシリアスな「Noah」では、バードのソロ・バッキングで、
限りなくモダンなハーモニーをつける。
全体的にゴスペルチックでアーシーなこのアルバムの中で、
ハービーのこのバッキングは特異であり、それがいいアクセントになって、
強烈な印象を残す。


そして、何といっても素晴らしいのは、1曲目の「Brother Isaac」だ。
「コール&レスポンス」を基調としており、
ハービーのバッキングが「レスポンス」を担当しているのだが、
「ひとりコール&レスポンス」を展開するバード、
「レスポンス」を無視してブロウするスタンリー・タレンタインなど、
ソロ部分も面白い。


バードは、「ポスト・クリフォード・ブラウン」などと言われていた頃の
音数の多いバップフレーズは吹かずに、ひたすら切れ切れのフレーズを重ねていく。

これはメロディというよりも、曲を音で編集しているかのようだ。

このことは、バードが一人のインプロヴァイザーというよりも、
バンド・サウンドを重視する視点に移行したことを示している。
事実、これより後のアルバムでは、バードがバップフレーズを吹きまくることはない。


そして、そんなバードの思惑を理解してか理解せずにか、
「ファンキー・ジャズ」的なソロを吹きたいように吹きまくる
スタンリー・タレンタインも素敵だ。
マイルスとコルトレーン、ランディとマイケルのように、
リリカルなトランペットと暴力的なテナー、という構図は永遠の形式美なのである。


ただ、4曲目(レコードならB面1曲目だ)の
I’ve Longed And Searched For My Mother」はいまひとつ。


バラードのこの曲は、ライナー・ノーツでナット・ヘントフが述べているように、
作曲、アレンジなどは高い完成度に到達しているものの、
肝心のバードのソロが緊張感に欠けていないだろうか。
他の曲ならば、リズムが少しゆるくても、そして度々音を外しても気にならないが、
バラードで、しかも完成度が高い曲では、
ちょっとしたミスも大きな瑕になってしまう。
バードは、バラードはあまり上手くないトランペッターではないのではないか。
もっとも、充分な説得力とともにバラードを吹ききれる方が珍しいのだが。


バードについては、この移行期を中心に深く考えていきたい。
最後に、アルバム一枚通して聴いてみると、
なんとグラント・グリーンが結局カッテイングしかしていない!
これだけ考えても、贅沢なアルバムだと思う。