『被差別部落のわが半生』、山下力、平凡社新書、二00四年


奈良県議会議員の、被差別部落出身である著者の自伝。


各雑誌・新聞の書評などで取り上げられ、そのあらすじと書評の反応から、
読む前にして面白いだろうという期待はあったが、期待を裏切らない本だった。


この本は広く読まれていて、それは、去年(2004年)の11月に出版されたのに、
2ヶ月でもう「四刷」になっていることからも明らかだ。
 このような内容の本に「面白い」と形容するのは不謹慎かもしれないが、
「面白い」というのは部落問題についての僕の問題意識を刺激するという意味での「興味深さ」と、一人の男が悩み、迷いつまずきながら歩んできた闘いの人生について「胸を熱くする」という二つの意味をこめて使っている。
 第一章の「記憶と意識」から「流浪と邂逅」、「差別と糾弾」、「教育と責任」の第四章までが自伝的内容で第五、六章の「米と肉」「言葉と倫理」が部落問題に対する著者の考察となっている。


 本書は、部落問題に無知な読者を糾弾し、この問題への積極的な関与を求める書ではない。そうではなく、著者自身述べているように、むしろ「まだまだ発展途上にある私と部落問題との個人的な「同伴日記」のようなもの」である。
 そこには、「糾弾屋」と呼ばれた運動とその成果を記す自信もみられるし、若かりし頃の挫折も赤裸々に記されている。政治家として運動を続けながらも、家庭では妻と娘に「糾弾」されることも隠そうとしない。



 何より感心したのは、この糾弾運動が実を結び、1969年に成立した同和対策事業特別措置法について触れられていることである。本来時限立法であるはずのこの法律だが、この法律によって利益を享受することとなった被差別部落出身者がその既得権の維持に努めたため、いわゆる「逆差別」といわゆる事態が生じた。この経緯に対する「糾弾」はそれこそここ数年別冊宝島などが継続して行っていることであるが、著者は、当事者としてこの事態に対する冷静な観点からの反省を述している。



 自伝部分もさることながら、第五章の「米と肉」が白眉である。「部落差別の「近世政治起源説」が歴史的に正しくなかったことは明らかにされている」ことから(恐らく網野善彦らの中世史研究を踏まえてのことだと思われる)、農耕民と狩猟民という「米」と「肉」という対比を土台として、「肉食」である天皇家という「聖」と被差別部落民という社会的最下層の遠くて近い関係などを、少々図式的な傾向がないわけではないが、分かりやすく論じている。
大いに学ぶ所があった。



 それにしても、没頭して一気に読んだ本は久しぶりである。
以後、この本は、藤原正彦の『若き数学者のアメリカ』、
小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』と並んで、
「自信を持って人に進めることができる自伝」の一冊となるだろう。


被差別部落のわが半生 (平凡社新書)

被差別部落のわが半生 (平凡社新書)