『働くことがイヤな人のための本』、中島義道、新潮文庫、H16年

いや、参りました。
「健全な」解説(文庫の後ろについているやつね)の在り方、をみた。
この本、一冊の本として完璧です。


きっかけは最近の日課である本棚の整理。
中島義道の『孤独について』(文春新書)が出てきたので、
処分しようと思ってパラパラめくってみた。
ぼくにはもうこの本は必要ないことを確認しようと思ったのだけど、
これが予想を覆して面白い…。
面白い、というか共感できる自分をそこに発見して
我ながら気持ち悪くなったので、勢いで処分しててしまおうかとも思ったのだが、
やはり精神的に疲れているのか、と思い直して保留にすることにした。
その結果、今もこの本は処分を免れているわけだが、
問題はその翌日に他の本を処分しに行って
この『働くことがイヤな人のための本』に出会ってしまったことだ。
タイトルに反応し、しかも『孤独について』の件もあったので購入した。
これも一種のシンクロニシティか。


で、内容はいつもの中島節が展開されていて、
しかし今回はモノローグでなく
4人の仕事に悩める人との対話形式を採用しており、
その意味でタイトルにあるような人々にあてたメッセージという意図を感じた。
まあ、根本的な解決にはならなかったけど、
ぼくもいくらか慰めになったことは白状しておこう。


ただ、この本の素晴らしいところは斎藤美奈子の解説にある。
文庫解説によくあるように、著者経歴、解説者と著者との関係、
あらすじ紹介やぬるい賞賛の言葉などといったものはどこにもなく、
その代わりに
「この本を読んで、よけいワケがわからなくなっちゃったんですけど」
という人のために、
極めて明晰な批判を実行する。

仕事とはそもそも「社会」と「個」の接点に位置するテーマなわけですが、
中島義道はあくまで「個」の側から仕事について語ります。
哲学的、人文学的アプローチといってもいい。
ところが、仕事ってやつは残念ながら「社会のしくみ」に規定されている以上、
個人がいくらあがいてもどうにもならない部分がある。
社会学的なアプローチがほんとは不可欠なはずなんですね。
この本がグチャグチャして見えるのは、
社会のしくみの話ぬきで社会との接し方について語ろうとする、
その根本的な矛盾に由来するように思います。

社会という言葉こそ出てきますが、
何度読んでも私にはよくわかりませんでした。
自由競争の話なのでしょうか。
それとも市場経済の話?

…この本のタイトルは適正ではないかもしれませんね。
正しくは『賃労働者として働くことがイヤな人のための本』。
これでは噛み合わないわけです。
仕事と聞いて自動的に「賃労働」を連想する私のような人間は、
近代の病に冒された<鈍重で善良な市民>なのでしょう。
そして、このような根源的な悩みに直面する人が増えたのは、
近代の論理が通用しなくなりつつある時代だからかもしれない、と思いました。

以前、この本のために私が書いた書評の一部を引用しておきます。
>
哲学者なんて(と差別的にいうが)、労働者としても生活者としても、
もともと失格なわけですよ。
じゃないと哲学者にはなれないし、失格だが、
人類の貴重な文化財だから社会が特別に保護してやっているのである。
そんな保護動物みたいな立場の人が、他人の悩みに首をつっこむなど、
トキがパンダの心配をしているようなものである。
斎藤美奈子『趣味は読書。』所収)<
この本は中島さんの数ある著書の中でも、とりわけ自虐的で排他的です。
それもトキとパンダの会合だと思えば仕方がない。
彼らの悩みは十分尊重されなければなりません。
ただ、トキでもパンダでもない、
ゴキブリかネズミみたいなあなたや私がこの本を理解できなくても、
べつだん腐る必要はないってことです。

素敵だな、斎藤美奈子
悪口を述べようと思っているのではないだろう。
文庫の解説を依頼され、その好意に阿ることなく、
著者に反対するものであっても自らの意見をきちんと述べる。
これこそ真摯な批評といえるのではないだろうか。


中島義道中島義道でよしとして、
がぜん斎藤美奈子を読みたくなった。
とりあえず部屋の片隅に積んであった
『冠婚葬祭のひみつ』を引っ張り出した。

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)