『動物化する世界の中で ―全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』、東浩紀・笠井潔、集英社新書、2003年

なんでこんな本買ったのかなあ…。
はっきりいって、タイトルだけでちょっとゲンナリしてくる本なんだけど。


東浩紀のデビューはちょうどぼくが学部生の頃で、
専攻が近いこともあって注目していた。*1
そして、笠井潔は『哲学者の密室』を読んで友人と大笑いしたミステリー作家だ。
現象学的直観」だの、全共闘特有の哲学的なジャーゴンを使い、
それがどうも空回りをしている印象を受けた。


多分、当時東浩紀にはまだ興味があって、
対談ならすぐに読めるかと思って買ったのだと思うが、
どうも感心しなかった。
本棚の整理のため今回読み直したが、どうもピンとこない。
二人とも立場が非常に特殊なため、
データ本としてもあまり役に立たない気がする。
「特殊な立場の人のサンプル」としてなら利用価値があるかもしれないが、
そこまでぼくには本棚的にも時間的にも人間的にも余裕はない。
この本は処分できる。


お互いにバランス感覚のない人間だから、
誠意を見せて言葉を交わしても議論が噛み合わず、
ひたすら自論を展開しつづける二人。
こういうのを読むと、
ひたすら饒舌という「芸」で自分の政治の季節を半ばパロディとして語る
押井守の方がはるかに大人で、作品としても面白く感じられる。
そう考えると、押井守のあの饒舌も別の意味をもってくる。
なにしろ、四方田犬彦でさえ、あの時代への自分の関わり方を語る際には
『ハイスクール1968』のようになってしまうのだ…。

*1:ちなみに、平野啓一郎のデビューもこの頃。同時期に二人の新人がデビューした、という事実は、もちろん二人の実力は否定はしないが、それ以上に思想界・文壇がそのような人材を欲していたことのあらわれだと思う。