『ジャズ構造改革 熱血トリオ座談会』、後藤雅洋・中山康樹・村井康司、彩流社

現在進行形のジャズ・ジャズ批評への歯に衣着せぬ座談会。
なあなあの予定調和でなく、実名でガンガン批判しているところが面白い。


ジャズ本といえば、
毎年あきれるほど出版される「ジャズ入門書」にぼくもうんざりしていた。
一体何回入門すれば気がすむのか?
原則的には、誰でも入門書は一冊でいいはずだ。
入門書が大量生産される事態は普通ではない。
入門書がその役割をきちんと果たしていないか、
それとも読者が本気でジャズを必要としていないか。
僕は両方ともあてはまると思うが、
本書の姿勢は前者。
つまり、いわゆるジャズ評論家の怠慢、甘えにあるとする。
そこで名指しで批判されるのが寺島靖国と雑誌の『ジャズ批評』。
個人的には、ぼくの世代では逆に『ジャズ批評』はデータ本として役に立つので
よく参考にするので不満は無いけど、
寺島靖国はおかしいと思っていたのでこの座談会には共感できた。
結構ボロクソにけなしてます。


ジャズそのものに関しては、大体マイルスが電化したあたりから
「ジャズは終わった」なんてことがよく言われてて、
基本的にこの本もそのスタンス。
同時代のジャズマンには昔ほどスゴイ奴はいない、というもの。
ぼくはこれには反対だ。
3氏はクラブジャズ的なものにも批判的で、
DJ達がブルーノートのレアものを提示する姿勢も、
ミュージシャンが演奏する音楽も評価しない。
前者は単なるムーブメントであり、
あえてジャズ界から発言する必要は無いのではないか、と中山康樹は述べ、
後者については、例えばフューチャー・ジャズについてこう述べてる。

村井:
あと、北欧のレーベル「ジャズランド」の
フューチャー・ジャズみたいなもの…
…えーと、ブッゲ・ヴェッセルトフトが成立した。

後藤:
なかなかその名前がいえないんだよね。

村井:
あれもクラブ・ジャズみたいなものを取り入れつつっていう。

後藤:
一時ジャズランドのブッゲがすごく話題になったでしょ。
私も一応ね、全部聴きました。
なかなか心地よいし、悪かないけどさ、
こんなものどこが新時代のジャズだバカヤローって感じだよね。

村井:
あれが将来のジャズに何かを付け加えるとは思えないよね。

後藤:
あんなもので驚いているやつって、
ものすごくジャズの耳のレヴェルが低いっていうかさ……。

充分驚いたよ。耳のレヴェルが低くて悪かったね。
ブッゲはそんなに簡単に切り捨てられるかな?
そりゃアルバムには実験色が強すぎるものがあったりで、
全ていいわけじゃないけど、ちゃんと聴いてみると面白いと思うけど。
クラブ仕様で4つ打ちが多かったりするけど、
そのキックは打ち込みで作られていて、すごく静的。
それでいながらファンキーで、観賞用としてもフロア対応でもいける。
カサンドラ・ウィルソンとちょっと似たところがあって、
上品とか、エレガントとも違った面白さがあると思うんだけどな。
ライブ盤なんてホントにサイコーだし。
フューチャー・ジャズ、いわゆる北欧ものに限っても充分面白い。
ぼくにいわせれば、ジャズ評論家が耳を持ってないんじゃないの?
といいたくなるけど、
評論家たちからしたらぼくがジャズを知らない、ってことになるんだろうな。
DJ達がブルーノートを掘りだしてくることに対しても、
簡単に無視していいのかな。
例えばドナルド・バードなんて、
DJ達のおかげでそれまでのジャズファンがしなかった聴き方が提示された。
ジャズ評論家はこういうの真摯に受け止めた方がいいんじゃないかな。
ジャイルス・ピーターソンなんて選曲がすでに批評になってるじゃないか。


全体的に面白い本なんだけど、こうして抜き出してみるとなんか腹が立ってきた。
ただ、やっぱり中山康樹は面白いこといってるんだよなあ。
実はフューチャー・ジャズについても乱暴なことはいってないし。
ロン・カーターがただひたすらベースを弾いて、
横でラッパーとデュエットしてるビデオ」も紹介してるし、
こういうセンスの人が
単純にクラブものを否定するはずはないと思うんだけどな。

中山:
ぼくのなかでは、ウイントンというのは、
ミンガスに近い闘い方をした人としての位置付けがあるんです。
ただしミンガスは愚直だったけれども
ウイントンは闘い方と勝ち方を知っていた。
そこに世代の違いが出てると思う。…
…ただしウイントンの功罪というのももちろんあるわけで、
黒人にとってはよかったけれど、
ジャズの未来にとってはぜんぜんよくなかった、それが現在だと思う。
ただそういう状況になろうがなるまいが、
黒人の側からみたら、
誰かがいつかやらなければならなかったことでもあったわけです。…
…つまり水泳やボクシングや野球を
成功への手段として捉えるのと同じように、
ジャズも成功物語のひとつの要素になったわけです。

なるほど、そういうことか。
これを読んで、ちょっとウイントンのことが理解できた。
いわれてみればそうだよなあ。
あと、最後に中山が提唱してる、アルバム一枚の「点聴き」でなくて、
ミュージシャンのソロ作品だけでなくてサイドメンとして参加した作品や
昔のメンバーの動向の影響関係を考慮した「線聴き」も面白い。
しかしこれって、学として成立させることに近くなるね、もはや。
本書の姿勢に完全には賛成できないが、
ジャズとジャズ批評を考える上で参考になった。
批評とはこうでなくてはいけない。
何がいいたいのかわからない批評は無意味なのだ。


ジャズ構造改革 ~熱血トリオ座談会

ジャズ構造改革 ~熱血トリオ座談会