「民草」とはよくいったものです。
草
飲食店などで、あいだみつおの言葉を掲示している店もある。そのメッセージの直截さが受けているのであろう。確かに元気づけてくれる言葉もある。でも、と異を挟みたい。次の言葉は私は嫌いだ。優しさがないからだ。
歩いていくと道になる。歩かないと草が生える
素朴な疑問。草が生えていてはいけませんか。あなたの歩く道に草が生えるといけませんか。草だって一生懸命に、小さな花を咲かせようと生きているのに。
草の気持ちが分かっている人はこんなことは歌わないのではないだろうか。
あいだみつおにとっては、「草」は雑草だ、名も無い雑草だ。歩いて踏みつぶさなければはびこる草だ。この一節の「草」を弁護して「草」はsimile だ metaphorだとしても「歩いていくと道になる。歩かないと草が生える」と歌った以上は草は悪者だ。雑草の身になってみたら、踏まれる草の身にもなってみたら、そうは歌えないのではないだろうか。
名も無い草とは言うものの、すべての草に名前はある。自分が知らないだけなのに名も無いと呼ぶ人の傲慢さ。人も草も生きているから素晴らしい。それを気づかせてくれる詩が美しい。
雑草ときめつけないでくれますか 吉岡 民
これは珍しい。
相田みつをさん、こんな言葉をのこしているのですか。
どちらかというと名もない人々の心を代弁するかのような言葉をあらわした人だけに、意外でした。まあ、比喩的な意味の「草」だからそんなに目くじらを立てることもないように思いますが、「草」はしばしば民、大衆の比喩にも使われたりもしますからね。別の表現のほうが良かったかもしれませんね。
思えば、上原浩治さんの「雑草魂」、これは「不屈の精神」程度の意味で使われていましたが、そこにこの「民草」のイメージがあったことは否定できないでしょう。
そういえば、ネットで「www」という、発言を小馬鹿にする表現を「草が生える」と言いますが、ここにも「民草」による冷水を浴びせる意味が響いてたりして。と、考えすぎですかね、これは。
「民草」というと、わたしがいつも思い出すのは山下達郎さんのこの曲です。
ライブ盤はこちら。
- アーティスト: 山下達郎
- 出版社/メーカー: ダブリューイーエー・ジャパン
- 発売日: 1999/06/02
- メディア: CD
- 購入: 2人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (73件) を見る
達郎さんは、なぜこんな曲を書こうと思ったのでしょうか?
と思ったら、軽くその経緯に触れた記事を見つけました。
一生聴き続ける曲だと思います。